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堀だと思ったところは堀じゃない。を解体してみた。


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先日の第4回わいまる。
そこで、こんな話がありました。

『郷瀬川のところって、堀だったんですよね?』
 
いやぁ~、違うんですよーーーーー。
 
今回のブログは、そんな話です。
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

◆ 郷瀬川

 
郷瀬川ってわかります?
犬山城天守のある、通称『城山』、
これの東側に流れている川のこと。
 
城山と名鉄犬山ホテルとの間を流れて、木曽川に注ぎ込んでる、あれです。
 
 

f:id:takamaruoffice:20180203135529j:plain
犬山城天守がある通称『城山』の東側に川がある。
 
f:id:takamaruoffice:20180203135633j:plain
これが、郷瀬川。
 
 
これこれ(笑)
 
総延長 4.4 km
流域面積 55.6 km2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◆ 郷瀬川は堀じゃないよ

 
 
江戸時代、尾張・美濃の国境にある栗栖あたりを水源として、
善師野から西に流れ、富岡を通って犬山に向かい、
橋爪・五郎丸の東側を南下していたようです。
 
しかし、大雨になると必ず水害を起こしていたみたいで、
困りものの川だったんですね。
 
一方で、流域の村々にとっては灌漑用水として重要な一面も持っていて、
なくてはならない川でもあったのですね。
 
そこで、富岡からの流路を木曽川に導く計画が立てられて、
 
明治19年(1886)
 
犬山城の麓から木曽川に流れ込む流路として工事がなされ、
いまの郷瀬川ができました。
 
そのとき、犬山城の外堀を利用したと言われる方がいますが、
明らかに違う。
 
明治になって廃藩置県があり、犬山城も廃城になりました。
そして、櫓・門・塀などのすべて(天守を除く)が払い下げられたり、
破却されたりしました。
もちろん、堀は埋められ、平坦な土地にして活用されていきます。
これは各地で起こったことであって、犬山城だけがそうなったのではないです。
 
 
それが、明治の初期。
つまり、明治19年より前の話です。
 
犬山城の外堀も埋められていた。
だから、郷瀬川を作るときに堀はなかったんです。
堀を郷瀬川として利用することはできなかった。
そういうこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

◆ 堀の内側に掘削した

 
犬山城・城郭と郷瀬川の位置関係を見てみましょう。
 
 

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国土地理院の地図を、たかまる。が加工して作成しました。
 
 

国土地理院ホームページ:http://www.gsi.go.jp/
 
 
このように、郷瀬川は犬山城外堀(推定)の内側に掘削されました。
これは、犬山市も発表している通りです。
外堀の位置は完全には把握できていませんので推定ですが、
古地図や先日行った発掘調査の結果から、まず間違いないでしょう。
(ちなみに、たかまる。が描いた上の画は正確性は乏しいです。イメージとしてとらえてください)
 
つまり、わざわざ硬い岩盤のところを掘削したのです。
堀跡を利用するのではなく。
堀の内側に。
 
だから、郷瀬川は犬山城域内にある、人工の川
ということになります。
 
 
いやぁ、改めて調べてみると勉強になりますね。
わたしも初めは郷瀬川が堀だと信じていましたから(笑)
明治の人たちは罪な人が多い(笑)
間違っちゃうじゃん。
 
ということで、郷瀬川は堀じゃないんで。
お間違いないように。
 
他の方に説明するときは、
明治になってから、犬山城の中を通して作った川なんだよーーーー
って言ってくださいね。
 
 
 
 
 
では、また。
 
 
 

2017年9月16日
たかまる。

 
 
 
 

  • 写真はすべて、たかまる。が撮影したものです。
  • 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
  • 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。

 
 
 
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