堀だと思ったところは堀じゃない。



【スポンサーリンク】

先日、こんなことを聞かれました。

『郷瀬川って、堀だったんですよね?

いやぁ~、違うんですよーーーーー。

今回のブログは、そんな話です。

【スポンサーリンク】

郷瀬川

郷瀬川ってわかりますか?

犬山城天守のある、通称『城山』、これの東側に流れている川のこと。

城山と名鉄犬山ホテルとの間を流れて、木曽川に注ぎ込んでる、あれです。

f:id:takamaruoffice:20180203135529j:plain
犬山城天守がある通称『城山』の東側に川がある。
f:id:takamaruoffice:20180203135633j:plain

これが、郷瀬川。

総延長 4.4km

流域面積 55.6km2

郷瀬川は堀じゃないよ

江戸時代、尾張・美濃の国境にある栗栖あたりを水源として、善師野から西に流れ、富岡を通って犬山に向かい、橋爪・五郎丸の東側を南下していたようです。

しかし、大雨になると必ず水害を起こしていたみたいで、困りものの川だったんですね。

一方で、流域の村々にとっては灌漑用水として重要な一面も持っていて、なくてはならない川でもあったのですね。

そこで、富岡からの流路を木曽川に導く計画が立てられて、明治19年(1886)に犬山城の麓から木曽川に流れ込む流路として工事がなされ、いまの郷瀬川ができました。

そのとき、犬山城の外堀を利用したと言われる方がいますが、明らかに違います。

明治になって廃藩置県があり、犬山城も廃城になりました。

そして、櫓・門・塀などのすべて(天守を除く)が払い下げられたり、破却されたりしました。

もちろん、堀は埋められ、平坦な土地にして活用されていきます。

これは各地で起こったことであって、犬山城だけがそうなったのではないです。

それが、明治の初期。

つまり、明治19年より前の話です。

犬山城の外堀も埋められていた。

だから、郷瀬川を作るときに堀はなかったんです。

堀を郷瀬川として利用することはできなかった。

そういうこと。

堀の内側に掘削して川を造った

犬山城・城郭と郷瀬川の位置関係を見てみましょう。

▲ 郷瀬川と外堀(推定)の位置関係

国土地理院ホームページ:http://www.gsi.go.jp/

このように、郷瀬川は犬山城外堀(推定)の内側に掘削されました。

これは、犬山市も発表している通りです。

外堀の位置は完全には把握できていませんので推定ですが、古地図や先日行った発掘調査の結果から、まず間違いないでしょう。

(ちなみに、たかまる。が描いた上の画は正確ではないのでイメージとしてとらえてください)

つまり、わざわざ硬い岩盤のところを掘削したのです。

堀跡を利用するのではなく。

堀の内側に。

だから、郷瀬川は犬山城域内にある、人工の川ということになります。

まとめ

いやぁ、改めて調べてみると勉強になりますね。

わたしも初めは郷瀬川が堀だと信じていましたから(笑)

明治の人たちは罪な人が多い(笑)

間違っちゃうじゃん。

ということで、郷瀬川は堀じゃないんで、お間違いないように。

他の方に説明するときは、明治になってから犬山城の中を通して作った川なんだよーーーーって言ってくださいね。

では、また。

 

2017年09月16日
犬山城マイスター!たかまる。

– 写真はすべて、たかまる。が撮影したもの、または使用を許可されたものです。
– 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
– 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。

みんなとシェアしてね!
error


【犬山で泊まるなら】



【スポンサーリンク】



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

たかまる。のブログを購読して、更新情報を届けてもらおう!

 
 


この記事をみんなでシェアする!