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菅谷館(すがややかた)#120『畠山重忠の城館。のちに山内上杉氏が再興した城』

菅谷館の出枡形

続日本100名城・120番・菅谷館(すがややかた)をご紹介します。

菅谷館(すがややかた)は、畠山重忠の城館。のちに山内上杉氏が再興した城です。

埼玉県比企郡嵐山町にある平城です。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

菅谷館(すがややかた)#120『畠山重忠の城館。のちに山内上杉氏が再興した城』

菅谷館の上空写真

▲ 菅谷館の上空写真(埼玉県立嵐山史跡の博物館ウェブサイトより)

続日本100名城・120番・菅谷館(すがややかた)をご紹介します。

菅谷館(すがややかた)は、畠山重忠の城館。のちに山内上杉氏が再興した城です。

埼玉県比企郡嵐山町にある平城です。

見どころ

現在の遺構は戦国時代に拡大改修・整備された菅谷城跡(すがやじょうあと)です。

しかし後年の開発による破損がほとんどありません。

戦国時代の土塁(どるい)や空堀(からぼり)、防御施設としての出枡形(でますがた)土塁などが原型を留めた形で残されています。

これは非常に珍しく貴重なものなので見所です。

菅谷館跡は、鎌倉時代の武士である畠山重忠(はたけやましげただ)の居館跡と言われています。

発掘調査などの成果をもとに、木橋(きばし)、三の郭の建物の柱などが復元されています。

主な遺構

本郭

二の郭

三の郭

南郭

西の郭

土塁

大手門などの門跡

縄張(なわばり)

菅谷館の縄張り図

▲ 菅谷館の縄張り図(埼玉県立嵐山史跡の博物館ウェブサイトより)

菅谷館は都幾川(ときがわ)と槻川(つきかわ)の合流点の北側の台地に築かれています。

付近を鎌倉街道が通っていました。

菅谷館は平城(ひらじろ)ですが、その後に再興された菅谷城は平山城(ひらやまじろ)です。

中央のやや南よりに本郭があります。

その北側に二の郭、三の郭などが配置されています。

それらは土塁(どるい)と堀(ほり)で防御を固めていました。

横矢掛(よこやがかり)が明瞭で、堀(ほり)は深く、そして広く、土塁(どるい)は高く築かれています。

本郭は中世の単郭式(たんかくしき)城館と思われますが、曲輪(くるわ)が広いことや土塁の規模が大きいことなど、平城の特徴が多数あります。

二の曲輪の土塁上には、畠山重忠公の像が建てられています。

三の曲輪跡には現在博物館が建てられています。

歴史

菅谷館は鎌倉幕府初期の有力御家人だった畠山重忠(はたけやましげただ)の居館跡と言われています。

畠山氏は大里郡(おおさとぐん)畠山荘(はたけやまのしょう)を本荘としていました。

畠山重忠の代になって鎌倉街道の要衝である菅谷に移って館を構えました。

しかし元久(げんきゅう)2年(1205)に執権北条氏に謀反の疑いをかけられたため、討たれて滅亡しました。

長享(ちょうきょう)2年(1488)、山内上杉氏が館跡を改修して、菅谷城(すがやじょう)としました。

16世紀前半まで拠点としています。

その後、相模北条氏の拠点となったという説もありますが、発掘調査などでは確認できていません。

菅谷館の基本情報

菅谷館の出枡形

別名 菅谷城
所在地 〒355-0221
埼玉県比企郡嵐山町菅谷
城の種類 平城(菅谷館)
平山城(菅谷城)
築城年代 不明
築城者 不明
主な城主 畠山氏
文化財史跡の区分 国指定史跡
主な復元や整備 木橋の復元、三の郭の建物の柱の復元
アクセス 東武東上線「武蔵嵐山」駅から徒歩約15分
日本100名城スタンプ設置場所 埼玉県立嵐山史跡の博物館(展示室受付)
関連施設 埼玉県立嵐山史跡の博物館
リンク 埼玉県立嵐山史跡の博物館
菅谷城跡

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・120番・菅谷館(すがややかた)をご紹介しました。

菅谷館(すがややかた)は、畠山重忠の城館。のちに山内上杉氏が再興した城です。

埼玉県比企郡嵐山町にある平城です。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年00月00日
犬山城マイスター!たかまる。

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