犬山城移築門-矢来門は犬山のお隣の扶桑町に移築されていた。犬山城とセットで訪れたいスポット②専修院



犬山城のかつての門のいくつかは売却されて、お寺の山門として移築されているんです。

そのひとつ、「矢来門」は犬山のお隣・扶桑町の専修院というお寺の東門として、今でも現役なんです。

ということは、犬山城は天守だけじゃなくて門も見ることができるということですね。

しかも扶桑町はすぐお隣だから、犬山城に行ったらセットで訪れたいスポットですよ!


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矢来門は扶桑町の専修院というお寺に移築されていた。

まずは、移築されていた矢来門の勇姿を。

▲ 移築された矢来門は、扶桑町の専修院東門として、いまでも現役。

この門は犬山市のお隣、丹羽郡扶桑町にある専修院というお寺に移築されていました。

このお寺のウェブサイトが見当たらなかったので、日本の神社・寺院検索サイトのリンクです。

>

電車で訪れる場合は、名鉄犬山線の柏森駅下車、徒歩6、7分ぐらいでしょうか。

お車の場合は、専修院の駐車場があります。

お寺さんに参拝していただいてから、門をじっくりとご覧ください!

矢来門は高麗門という形式の門です。

門の形式としては、高麗門(こうらいもん)です。

屋根は本瓦葺。

▲ 高麗門の特徴と言えば、背面の控柱の小屋根だ。

正面から見て右側の大扉には潜り戸がついています。

高麗門と言えば、背面の控柱の小屋根が特徴的です。

背面から見ると高麗門であることがよくわかります。

高麗門というのは、冠木の上だけを覆う小さな切妻造り(きりつまづくり)の屋根になっているもの。

控柱が屋根から外に出てしまうので、日本の控柱の上には別々に小さな屋根がかけられています。

鏡柱(かがみばしら:左右で歌舞伎を支える柱)

控柱(ひかえばしら:鏡柱を後ろで支える柱)

冠木(かぶき:左右の柱の上部を貫く横木)

開いた扉は控柱にあたって止まるため、その上の小さな屋根の下に納まり、雨でも大丈夫。

格式を重んじる薬医門(やくいもん)とは対照的に、機能性が格段に向上したのが高麗門です。

薬医門は屋根が大きいため、その軒下に入った敵や味方の状況が見えにくく、射撃もできないという欠点がありました。

そのため薬医門は城門には向かず、防御よりも格式を重んじる場所に使われています。

一方で高麗門は薬医門の欠点を改良してとても機能的になったため、江戸時代には城門として大流行したそうです。

▲ 屋根には魔除けの桃瓦が!

屋根は切妻屋根(きりつまやね)となっています。

そして屋根をよーく見てみると、なんと桃瓦が!

桃瓦は魔除けとして犬山城天守に使われています。それと同じものが矢来門にもあるとは、まさに犬山城の城門ですね。

こういったところでも犬山城を感じることができます。

犬山城天守の桃瓦については、こちらに ↓↓↓

この高麗門は城郭独特の形式で、寺院には珍しいものです。

現在は扶桑町の文化財に指定されています。

犬山城・矢来門は大手道の第二の門だった。

▲ 大手道を登って、堀に突き当たったところを右に曲がった真ん中あたりに矢来門があった。

矢来門はどこにある門だったのでしょうか?

犬山城三の丸(現在の城前広場の辺り)から大手道を登って行き、突き当たりを右に曲がった先の真ん中。

この辺りにありました。

現在は案内板が右手にあり、その下には礎石(そせき)が一つだけ残っています。

▲ 現在は案内板と礎石が一つ残るのみ

礎石というのは、建物の土台・礎となって、柱などを支える石のことです。

門の礎石というと、門の柱を支える石のことを指します。

門の礎石を見ると、実際に門が建っていたんだという実感がグッと増してきますね。

では、なぜ道の真ん中に門を建てたのか?というと、敵を侵入させないためのバリケード。

そして、矢来門の前の中門とともに枡形を造るため。

さらには、矢来門とその先の黒門とで挟まれた枡形を造るため。

まさに、戦うため、防御のために非常に重要な役割を担っていたのです。

▲ 矢来門を中心に前後に、敵を一網打尽にする枡形が形成されている

※枡形については、こちらをご参照ください。

しかし明治になるとお城もそれまでの役割を終え、廃城になりました。

犬山城も例外ではなく、城門は売却されていきます。

犬山市史によると、矢来門は明治7年に専修院が20円で買い取ったとされています。

明治9年に移築竣工、昭和9年には垂木から上が取り替えられ、さらに平成27年には屋根の吹き替え工事が行われたそうです。

矢来門という名前の由来。

はっきりとしたことはわかりませんが、おそらく矢来門があったところの横にある堀と関係がありそう。

矢来門の北側には堀がありました。

犬山城の内堀です。

この堀は大手道に接していますが、この接しているところには塀などはなく、あったのは矢来垣。

矢来垣というのは、竹で造られた竹垣で、竹の切り口を斜めに切り、それをさらに斜めに組み込んだものです。

犬山城の絵図を見ると、この辺りは矢来垣になっています。

著作権などの関係で絵図を載せることができないのですが、こちらの本に載っていますので興味がある方はご覧ください。

堀と大手道の境が矢来垣になった辺りに建てられた門だから、矢来門と呼ばれたのかな?と推測しました。

ただ、これはたかまる。の推測だし、必ずしも正しいとは限りませんので悪しからず。

矢来門跡の現況は?

矢来門跡の場所は、城前広場(「犬山城」という巨石があるところ)から大手道を登って、突き当たりを右に曲がった中ほどです。

先述した通りで礎石が一つだけ残っています。

この南側(下の写真の左手)は松の丸でしたが、現在は三光稲荷神社が鎮座されています。

北側(下の写真の右手)は堀跡がよく残っていますので、絵図などを手に散策すると妄想しやすいと思いますよ。

▲ 矢来門のあったところから下手を見た風景

 

矢来門が移築されているし礎石も残っているので、ここに復元してほしい!

矢来門があると風景が一変して、犬山城のディフェンスの様子がとてもよくわかると思います。

荘厳な感じだし、復元されたらすごいだろうなぁ。

 

 

移築門仲間の黒門については、コチラをどうぞ

 

 

ということで、犬山城に行ったらセットで見に行ってみたい移築門の矢来門のご紹介でした。

じゃあね👍

 

 

 

2019年02月24日
犬山城マイスター!たかまる。

 

– 写真はすべて、たかまる。が撮影したもの、または使用を許可されたものです。
– 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
– 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。

 

 

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