【犬山城天守のみどころ】犬山城天守を少し変わった視点で解剖してみたら、とってもおもしろいことがわかった!



犬山城天守については、たくさんの方がレビューを書いたりしていますが、どれも同じことしか書いてないからそれで全部って思っている人が本当に多い!

でも、そんなわけないじゃん。見所はたくさんあるんですよ。

それをちょっと違う視点で解剖してみたら、おもしろいことがわかったんです。

今回はそれをご紹介しますね!


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犬山城天守のみどころを3つ

犬山城天守のみどころはたくさんあります。

だけど、たかまる。的に三つだけに絞るとしたら、華頭窓、唐破風、廻縁・高欄。

華頭窓は窓枠だけだけど格式が高く、表情を決めているのだ。

唐破風は天守正面のど真ん中についていて、これまた格式が高く特徴的だ。

最後の廻縁・高欄は現存12天守の中でも高知城と犬山城の2城だけのとても貴重なもの。

特徴を絞ると、この3つだね。

これについてはこちらの記事に詳しく書いてるので、読んでくださいませー👍

この3つは絶対外さずに見てほしいところだね。

なんだけど、犬山城天守を別の視点で見てみるとおもしろいことがわかったから、これから順に紹介しますね!

犬山城のスペック

まずは、犬山城天守の基本スペックを押さえておきましょう。

建造年代 :慶長6年(1601年)
構造・形式:三重四階、地下二階付、本瓦葺、
      南面及び西面附櫓、各一重、本瓦葺
分類   :複合式望楼型
文化財区分:国宝
      (1952年03月29日(昭和27年))
所在地  :愛知県犬山市大字犬山北古券65-2
所有者名 :(公財)犬山城白帝文庫
管理団体 :犬山市

犬山城は、織田広近によって文明元年(1469)に定められた木下城が始めである。その後、天文四年(1535)に織田信康は城を移し、関ヶ原の戦ののち慶長六年(1601)になって、清州城主徳川忠吉の老臣小笠原吉次によって天守が築かれた、というのが文化庁の見解である。

犬山城は尾張の最北端として、美濃を望む小高い丘の上に建つ平山城である。
昭和四十年の解体修理の調査で、始め二層の櫓ができ、その上に望楼がのり、さらに望楼の基部に唐破風を加えるなどの大きな改造を経て、現在みるような姿になったことが明らかにされた。
望楼を上げたのは成瀬正成が城主であった元和六年(1620)ごろ、その後の改造はさらに十数年経たころで、つぎの城主成瀬正虎によると考えられている。
入り口は正面の石垣南面にあり、石垣内の狭い地下二、地下一階を経て一階に出る。一階は台形で、周囲に幅二間の入側をめぐらし、その内部を上段の間を主室とする四室に分けている。上段の間は畳敷で、押板床・違棚・帳台構を備える書院造の座敷である。しかし、この上段の間の床は始め他の部分と同じ高さの板敷で、床・違棚・帳台構がつくられたのも床を高くしたのと同時期の文化(1804~1818)ごろである。
(文化庁データベースをもとに、たかまる。が改編)

▲ 現在の犬山城天守外観

犬山城天守のスペックとその他の情報については、こちらの記事も一緒にどうぞ。

犬山城天守は増築物件だった!

前述したように、犬山城天守は初めは2階建てであり、それをのちに望楼を増築、さらに唐破風を増築したと言われています。

これは、昭和の大修理のときの解体調査で明らかになったもので、同時に美濃金山城からの移築説も否定されています。

▲ 現在の犬山城天守外観

現在の姿は、昭和39年に行われた「昭和の大修理」で一度解体され、調査を行った後に組み立てなおされたもの。

建造当時の木材を使用し、修繕を行ったと。

では、増築された部分を図示してみましょう。

▲ 建築・増築年代で色分けした

 

創建当時建築

犬山城天守の一重目・二重目だけが初めに建てられたと言われます。

1601年に建てられたと文化庁は言っているが、果たして本当でしょうか?

第1期増築

最上重の『望楼』は、1620年ごろ、当時の城主・成瀬正成によって増築されたと言われます。

ということは、20年間は2階建てだったということ?

第2期増築

犬山城天守の特徴である『唐破風』は、成瀬家2代城主・成瀬正虎によって増築されたと言われます。

あわせて、廻縁・高欄も増築されたそうです。

増築が本当だとすれば、こんな珍しいことはありません。

一・二重目と、三重目が違う!

 

初めにできていたと云われる一・ニ重目と、増築した三重目・唐破風部分に、建築構造的な違いはあるのでしょうか?

また、本当に別々に建てられたものなのでしょうか?

構造を見てみましょう!

通し柱

通し柱とは、下の階と上の階とに連なった柱のこと。

例えば、1階と2階に通し柱があれば、この1階と2階は同時に建てた同じ建物、ということになります。

逆に1階と2階の通し柱がなければ、1階の上に2階を増築した可能性が出てきます。

▲ 天守断面図-東から

▲ 天守断面-南から

上図で見てみると、一階・二階に通し柱がありますが、三階・四階の柱はそれらとはつながっていません。

東側・南側の断面図から見て、それは明らかですね。

したがって、一・二重目の上に三重目を増築した可能性が高いということになります。

平面図

下の図は犬山城天守の地上階の平面図です。

これを見ると、1・2階部分は部屋が細かく区切られていて、城兵を忍ばせておくのに有利ですし、敵兵の行く手を阻むことができるので、かなり戦闘を意識した造りであることが伺えます。

逆に、3・4階部分はこざっぱりとして至ってシンプルな造りです。

▲ 天守平面図1階

▲ 天守平面図2階

▲ 天守平面図3階

▲ 天守平面図4階

しかも、柱の加工痕から、使用した大工道具とその年代を推定することができたらしく、それによると一・二重目と三重目では異なる年代に建築されたことが裏付けられたと言います。

この辺りは、近年だされた犬山城総合調査報告書に書かれています。

軒裏

天守に登ったならば、ぜひ屋根の軒裏を見てほしいですね。

一・二重目の軒裏は白漆喰塗籠であるのに対して、三重目は素木です。

白漆喰塗籠にすると腐敗防止や防火対策となるので、天守や櫓などに用いられていました。

つまり、戦になった時に火矢による延焼を防ぐためと考えられます。

一方で、三重目が白漆喰塗籠にせずに素木のままにしているのは、戦のない平和な時代になってから建てられたものだからとも考えられます。

さらに、唐破風、華頭窓、真壁造りなどの格式を重んじた最上重にふさわしくするために、あえて素木のままにしたのではないだろうか?と、たかまる。は考えましたがいかがでしょうか?

▲ 1階部分の軒裏は白漆喰塗籠だった

▲ 4階部分の軒裏はなんと!素木だった

ちなみに、階によって軒裏の仕上げが異なるのは犬山城天守だけですよ!

なんと貴重な!

犬山城天守のここも珍しい!

 

増築物件というだけでもほかに例がない犬山城天守ですが、現存天守と比較しても、さらにほかに例がない特徴があるのでご紹介します。

 

穴蔵

穴蔵とは、天守台の斜面に横穴や竪穴を掘って作る蔵。

天守台の穴蔵は、地下蔵のようなものと、出入り口に使われるものがあります。

織田信長が作った安土城が天守の始まりとされていますが、それ以前に田丸城(信長次男・織田信雄が城主)に天守があったともいわれています。

(天守の始まりは近年の調査によって諸説あります。あしからず)

 

そのいずれも天守台には穴蔵があり、出入り口として使用されていました。

豊臣秀吉が築城した大坂城や肥前名護屋城なども出入り口としての穴蔵があったと思われます。

つまり、これらは安土城(もしかしたら田丸城かもしれないが)から始まった「天守」という新しい建造物の正統な形として、穴蔵(出入り口)のある天守台があったのかもしれないですね。

こうなると、ロマンを感じずにはいられません!

 

 

▲ 穴蔵、地下2階部分

 

▲ 穴蔵、地下1階部分

 

現存12天守のうち、出入り口としての穴蔵があるのは、犬山城だけです。

これまた何と貴重なのでしょうか!

つまり、犬山城は正統な創成期の「天守」を今に残す唯一の存在と言えます。

 

付櫓

付櫓は、天守に付随した櫓のことをいいます。

犬山城天守には、付櫓が2か所あります。

南東隅と、北西隅です。

現存12天守のうち、付櫓があるのは備中松山城、松江城、彦根城、松本城と犬山城の5城だけ。

しかし付櫓が二つ付いた天守は、なんと犬山城だけです。

これも貴重!

貴重だらけでビックリします!

詳しくはコチラのブログもご覧ください↓↓↓

 

付櫓は敵が侵入してきたときに横矢をかけたり、平時には出入り口として使用したりします。

犬山城天守の付櫓はふたつとも横矢をかけるためにあり、戦闘的な天守としてとても重要な防御施設なんですね。

 

 

▲ 東南隅の付櫓

 

▲ 西北隅の付櫓

 

ちなみに、北西隅の付櫓と、天守の北東隅に石落としがありますが、これはまったくの装飾で、防御機能はありません。

床と壁で塞がっていて、石落としの存在すらわかりませんね(笑)

 

まとめ

 

犬山城天守を別の角度から見てみましたが、いかがだったでしょうか?

今までの犬山城天守とは違ったイメージや、違った見方があることが分かったと思います。

また犬山城天守に行くときはこのような視点で見てみるのもおもしろいかもしれませんね。

 

ということで、犬山城天守を別の角度から見ると面白いことがわかったというお話でした。

じゃあね👍

 

 

2019年04月07日
犬山城マイスター!たかまる。

 

– 写真はすべて、たかまる。が撮影したもの、または使用を許可されたものです。
– 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
– 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。

 

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