一国一城令(いっこくいちじょうれい)

お城にまつわる法令で重要なのが一国一城令(いっこくいちじょうれい)です。

慶長二十年閏六月十三日(1615年8月7日)、江戸幕府が一つの法令を制定します。

いわゆる一国一城令で、一国(令制国又は藩)に大名が居住あるいは政庁とする一つの城郭を残してその他の城はすべて廃城にするというもの。

当時、全国三千あった城郭が百七十にまで減ったと言われます。

今回はこの一国一城令について学んでいきましょう。

内容

一国一城令(いっこくいちじょうれい)とは、一国(令制国又は藩)に大名が居住あるいは政庁とする一つの城郭を残して、他の城はすべて廃城にするというものです。

これは、大名の城の数を制限して軍事力を削ぐために出された法令です。

慶長二十年閏六月十三日(1615年8月7日)に江戸幕府が制定しました。

発案者は大御所・徳川家康と言われますが、発令したのは2代将軍秀忠です。

この法令は大坂の陣(1615年5月)の直後に、幕府に対する反乱や大名同士の戦を封じる狙いがありました。

ただし、一つの国を複数の大名が分割して治めている場合は、大名の数だけ城が認められていました。

例えば、伊予国(愛媛県)には四人の大名がいたので今治城(いまばりじょう)、松山城(まつやまじょう)、大洲城(おおすじょう)、宇和島城(うわじまじょう)の4城が残されました。

▲ 廃城を免れ、いまでも現存している松山城(写真提供:愛媛県)

▲ 廃城を免れ、いまでも現存している宇和島城(写真提供:宇和島観光物産協会)

一方、藤堂家のように二国を支配しているところは、伊勢国の津城(つじょう)、伊賀国の伊賀上野城(いがうえのじょう)の2城を保有していました。

例外

一国に一城とした以外の事例を見てみましょう。

加賀藩(前田家)

加賀国、能登国、越中国の三令制国で二城(金沢城、小松城)

鳥取藩(池田家)

因幡国、伯耆国の二令制国で三城(鳥取城、米子城、倉吉城)

福井藩(越前松平家)

越前国に三城、のち二城(北ノ庄城(のち福井城)、丸岡城(のち丸岡藩として独立)、越前府中城)

仙台藩(伊達家)

陸奥国に仙台城と家臣片倉氏の白石城の二城

高松藩(生駒家)

讃岐国の高松城を残してすべてを破却したと報告したが、丸亀城は破却せず樹木で覆い隠して立ち入りを厳しく制限していた。

幕府にうその報告をした例である。

尾張藩(尾張徳川家)

尾張国、美濃国の一部、三河国の一部、信濃国(木曽)の四令制国で名古屋城の一城。

しかし、付家老である成瀬家が2代将軍秀忠より犬山城を拝領し、実質は二城であった。

そのほかにもいくつも事例があるので実質は一国一城ではないと言えますが、先にも述べた通り軍事力を統制することや幕府への反逆を抑えるという目的であったということですね。

犬山城の場合

先にも述べた通り、犬山城は廃城を免れました。

それは特別な事情があったからです。

尾張藩は徳川御三家のひとつで、藩祖は徳川家康の九男・義直です。

しかしまだ10歳ぐらいだったこともあり、幕府は徳川家康の家臣を付家老としてつけました。

その付家老が代々治めていたのが犬山城です。

前任の平岩氏が亡くなって成瀬家が付家老となったのち、2代将軍秀忠より犬山城を拝領しました。

犬山藩とはなっていませんので、尾張藩には名古屋城と犬山城の二城があったことになります。

つまり、犬山城は名古屋城の支城として幕末まで機能していたということです。

▲ 尾張徳川家の居城・名古屋城(写真:たかまる。)

▲ 美濃国との境にある犬山城は、尾張藩主の付家老の居城として存続を許された。(写真:たかまる。)

まとめ

元和元年(1615年)に出された一国一城令によって城の数は激減し、戦の世が終わりを告げました。

この法令によって破却された城は多数ありますが、今も城跡として立派に残っているので、このときに”廃城”となった城跡を巡るのも楽しいでしょう。

ということで、一国一城令というお話でした。

じゃあね🖐️

2019年09月10日
犬山城マイスター!たかまる。

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