城の役割と支城ネットワーク

城には様々な使い道や役割分担がありました。

本城(ほんじょう)、支城(しじょう)、境目の城(さかいめのしろ)、つなぎの城、伝えの城などです。

今回は、城の役割と支城ネットワーク(支城網)というテーマで解説していきます。

城の役割と支城ネットワーク

岐阜城(写真:たかまる。)

  • 城には様々な役割や使い道があった
  • 本城、支城、境目の城、つなぎの城、伝えの城
  • 領国支配の目的によって支城ネットワークが構築された

城には様々な役割や使い道などがありました。

領国の本拠地で大名の居城となる「本城(ほんじょう)」や、領国内の有力な拠点にある「支城(しじょう)」、敵の領国の付近に作られる「境目の城(さかいめのしろ)」、本城と支城の間をつなぐ「つなぎの城」「伝えの城」などです。

それらは領国支配の目的によって使い道が替わったりしました。

以下で深掘りしていきます。

領国支配のための支城ネットワーク

小田原城(写真:たかまる。)

  • 本城とは領国の本拠地になる城で、大名の居城
  • 支城は領国内の有力な拠点に作られた城で、軍の中継地
  • 支城と本城とのネットワークを整備

城は基本的には敵からその地域を守るための陣地であり、戦いの時には敵からの防御や攻撃の拠点として使われました。

その中で最も重要なのが「本城(ほんじょう)」です。

本城とは領国の本拠地になる城で、大名の居城として使われました。

領国の政治、経済、軍事の中心地です。

それが発展して城下町ができた城もあります。

次に本城の防御や攻撃支援のために、本城以外の所に作られた城や砦、陣屋などのことを「支城(しじょう)」と呼びます。枝城(えだじろ)と呼ぶ場合もあります。

支城は領国内の有力な拠点に作られた城で、領国の有事の際には軍の中継地などになりました。

大名の一族や有力な家臣などが城主を務めることが一般的でした。

本城は一つですが、支城は領国内に幾つも設けられました。

領国支配のための重要な拠点としての役割を持ったのです。

そして領国の効率的な支配のために、支城と本城とのネットワーク(支城網)を整備するようになりました。

それぞれの支城が連携できるように、あまり離れた場所には築かず、城が孤立しないように工夫されました。

有事の時には援軍を相互に送ったり、物資を補給したり、常に連携をとっていたものと思われます。

支城の役割

木曽川は美濃と尾張の境。そこにあるのは境目の城「犬山城」(写真:たかまる。)

  • 支城の役割は様々で、本城を中心に、支城、つなぎの城、伝えの城、境目の城などがあった
  • 境目の城は、敵の領国の近くに作られた防衛のための城
  • つなぎの城は、本城と支城の間の駐屯地
  • 伝えの城は、城と城の間にある連絡や見張りのための城

支城の役割は常に同じではなく、その時の情勢によってそれぞれが役割を持ちました。

例えば、本城を中心に、支城、つなぎの城、伝えの城、境目の城などがありました。

境目の城は敵の領国の近くに作られた城で、防御を充実させていました。

また、攻撃に出ることも想定し、戦闘能力が高いのも特徴です。

敵に攻められた時には時間をどれだけ稼げるかが役目となります。

つなぎの城は本城と支城の間を軍が移動するときなどに、途中で駐屯地として使われる城です。

兵糧などの備蓄ができるように、広い土地や使い勝手などが求められました。

伝えの城は城と城の間にあって、連絡や見張りなどをするための城です。

見通しの悪い所に伝えの城を設けることが多かったようです。

後北条氏の支城ネットワーク

北条氏は小田原城を中心に関東に支城ネットワークを構築した(写真:たかまる。)

  • 後北条氏は小田原城を本城として、戦国期に関東地方を広く支配
  • 支城ネットワークを巧みに作った
  • 豊臣秀吉による小田原征伐において、小田原城を中心に支城ネットワークを機能させたかったが圧倒的物量を前に屈服

後北条氏は小田原城を本城として、戦国期に関東地方を広く支配しました。

領国の周囲には有力な上杉氏や武田氏がいたため、支城ネットワークを巧みに作りました

120もの支城や砦をつくって防御したと言われています。

豊臣秀吉による小田原征伐においては、本城の小田原城を中心に支城ネットワークを機能させようとしましたが、秀吉の大軍勢を前にことごとく支城が攻略され、小田原城が包囲されてしまいました

秀吉の圧倒的な物量を前に、後北条氏の支城ネットワークが機能できなかったのです。

小田原城の支城ネットワークをマップにしたので、参考にしてください。

尾張支城ネットワーク

織田信雄は清須城を中心に尾張に支城ネットワークを構築した(写真:たかまる。)

  • 織田信雄が清須城を中心に、尾張領国内に支城ネットワークを作った
  • ほぼ同じ時期に支城の増築や改築なども行った
  • 尾張の支配者が代わっても支城ネットワークは使われた

あまり有名ではないかもしれませんが、本能寺の変以降に尾張を支配していたのは織田信長の次男・信雄(のぶかつ)です。

信雄は清須城を中心に、尾張領国内に支城ネットワークを作りました。

有事の際にすぐに連絡が取れるように、支城やつなぎの城の間隔をほぼ一定にしてネットワークを構築したことが分かっています。

また、ほぼ同じ時期に支城の増築や改築なども行い、防御力をそれぞれ高めていたことも分かっています。

その後、信雄は改易されて尾張の支配は豊臣一族やその家臣に代わっていきますが、清須城を本城として支城ネットワークをそのまま活用したものと考えられいます。

それほど優れたネットワークを構築していたということでしょう。

尾張国の支城ネットワークをマップにしたので、参考にしてください。

支城ネットワークの崩壊

名古屋城(写真:たかまる。)

  • 慶長20年(1615年)に一国一城令が出された
  • 領国に一城だけを残して、他はすべて廃城となった
  • 支城ネットワークは崩壊

支城ネットワークは戦や領国経営のために構築されたものでしたが、慶長20年(1615年)に出された一国一城令によって領国に一城だけを残し、他の城はすべて廃城にしなければいけませんでした。

これにより支城ネットワークは崩壊したのです。

一国一城令についてはコチラ↓↓↓の記事で。

一国一城令(いっこくいちじょうれい)

まとめ

  • 城には様々な役割や使い道があった
  • 本城、支城、境目の城、つなぎの城、伝えの城
  • 領国支配の目的によって支城ネットワークが構築された

城と一言で言ってもその役割は大きく異なりました。

それぞれの城には役割があり、その役割を分担することによって本城を中心とした支城ネットワークを構築していました。

お城巡りをする際には、その城がどのような目的で作られたのか、機能していたのかなども見てみると、城と城の関係性が見えてきてより理解が深まると思いますよ。

ということで、城の役割と支城ネットワークについての解説でした。

じゃあね🖐️

2020年01月18日
犬山城マイスター!たかまる。

たかまる。

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