秋田城(あきたじょう)#107『古代出羽北部の軍事行政の中心の城』

続日本100名城・107番・秋田城(あきたじょう)をご紹介します。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

秋田城(あきたじょう)#107『古代出羽北部の軍事行政の中心の城』

古代出羽北部の軍事行政の中心の城である秋田城(あきたじょう)をご紹介します。

秋田城は、秋田県秋田市にある城跡です。

見どころ

秋田城跡史跡公園には、東門や築地塀(ついじべい)、水洗トイレなどの復元遺構が見られます。

東門は壮麗かつ重厚です。

築地塀は粘土を突き固めて作られています。

秋田城跡歴史資料館では、発掘調査によって出土した文字資料などが見ることができます。

主な遺構

遺構があったところに、築地塀(ついじべい)や門が復元されています。

縄張(なわばり)

秋田城は古代城柵(こだいじょうさく)の一つです。

秋田平野の西を流れる雄物川(おものがわ)河口付近にある標高約40 m の丘陵に築かれました。

築地塀(ついじべい)は外郭(がいかく)と中心施設の政庁を囲む二重構造となっていました。

外郭には東西南北の4ヶ所に城門(じょうもん)が設けられていました。

政庁施設と外郭については、調査の結果、奈良時代から平安時代にかけて6期にわたる変遷があったことが確認されています。

秋田城の政庁域は東西94 m、南北77 m に区画されていました。

正殿(せいでん)や脇殿(わきでん)などの建物があったと思われます。

秋田城の外郭の東門と築地塀が平成9年(1997)に復元されました。

創建期の頃の姿として復元されています。

また全国にも例のない古代の水洗トイレが復元整備されています。

縄張(なわばり)とは?

縄張(なわばり)の三つの基本形式

歴史

秋田城は天平(てんぴょう)5年(733)に文献に初めて登場しました。

秋田城は「続日本紀(しょくにほんぎ)」に文献上初めて登場し、天平5年(733)、「出羽柵(いではのき)が庄内地方から秋田村高清水岡(たかしみずおか)に移転した」という記述があります。

その後、天平宝字(てんぴょうほうじ)4年(760)の記録には秋田城と記されています。

つまりこの頃、出羽柵(いではのき)から秋田城へと改称されたと推定されているのです。

秋田城は出羽(でわ)北部の軍事行政の中心となった古代城柵(こだいじょうさく)です。

奈良時代から平安時代前期まで機能していたと考えられています。

元慶(がんぎょう)2年(878)の元慶の乱(がんぎょうのらん)では、反乱した俘囚(ふしゅう)に一時占拠されました。

俘囚(ふしゅう)とは、朝廷の支配下に置かれた蝦夷(えみし)の人々のことを指します。

また天慶(てんぎょう)2年(939)の天慶の乱(てんぎょうのらん)でも戦いの舞台となりました。

そして、10世紀後半には機能が失われたと考えられています。

秋田城の基本情報

別名最北の古代城柵官衙遺跡(こだいじょうさくかんがいせき)
所在地秋田県秋田市寺内大畑
城の種類古代城柵(こだいじょうさく)
築城年代天平5年(733)
築城者律令国家
主な城主
文化財史跡の区分国指定史跡
主な復元や整備政庁域、大路、古代沼、寺院跡、古代水洗トイレ、客館施設跡、建物群跡、外郭東門、築地塀
アクセスJR 奥羽本線「秋田」駅から「将軍野線」または「寺内経由寺内経由土崎線」の秋田中央交通バスで約20分、「秋田城跡歴史資料館前」下車徒歩約3分。
公園から資料館まで徒歩約5分
日本100名城スタンプ設置場所秋田市立秋田城跡歴史資料館
史跡公園管理棟
関連施設秋田市立秋田城跡歴史資料館
リンク 
備考外郭東門や築地塀、古代水洗トイレなどが秋田城創建当時の姿をコンセプトに復元されています。
築地塀は古代最北の瓦葺屋根による壮麗な外観として復元されています。
史跡公園管理棟、古代水洗トイレの見学は4月から11月(9時から16時)

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・107番・秋田城(あきたじょう)をご紹介しました。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年04月14日
犬山城マイスター!たかまる。

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