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鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)#108『輪郭式縄張りが特徴の庄内地方の拠点城郭』

続日本100名城・108番・鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)をご紹介します。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)#108『輪郭式縄張りが特徴の庄内地方の拠点城郭』

輪郭式縄張りが特徴の庄内地方の拠点城郭である鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)をご紹介します。

鶴ヶ岡城は、山形県鶴岡市にある城跡です。

見どころ

土塁、石積み、内堀と外堀などが残っています。

三の丸には藩主の隠居所として建てられた御隠殿(ごいんでん)も残されている。

本丸の跡地には庄内神社が建立されている。

主な遺構

本丸

土塁

石積

藩校(致道館、ちどうかん)

御隠殿(致道博物館)

縄張(なわばり)

酒井氏が入封後に3代50年がかりで鶴岡城は近世城郭へと大改修されました。

縄張りは典型的な輪郭式(りんかくしき)で、本丸を囲うように二の丸が配置され、その南には百間堀(ひゃっけんぼり)が設けられています。

さらにそれらを囲むように三の丸が造営されました。

東には内川があり、西と南と北の三方に堀と土塁が巡らされています。

現存する水堀は本丸と、二の丸の西側と北側のものです。

上空から見ると「回る」という字の形状をしており、典型的な輪郭式縄張りであることがよくわかります。

本丸の御隅櫓(おすみやぐら)は戊辰戦争(ぼしんせんそう)の後に解体されてしまいました。

万治(まんじ)2年(1659)に本丸北西隅に二重櫓である本丸御隅櫓(おすみやぐら)が建てられました。

櫓台の石垣には金峯山(きんぼうざん)の花崗岩(かこうがん)が用いられています。

戊辰戦争の後に鶴岡城は解体され、御隅櫓なども取り壊されてしまいました。

歴史

鶴岡城の元になったのは大宝寺城(だいほうじじょう)です。

大宝寺城は出羽大泉荘(でわおおいずみのしょう)の大泉長盛(おおいずみながもり)が寛正(かんしょう)4年(1463)に築いた城です。

子孫はその後、大宝寺氏を名乗りました。

戦国時代には上杉氏(うえすぎし)と結んで勢力を伸ばしました。

しかし上杉氏と最上氏(もがみし)が争いを激化すると徐々に衰退していきました。

大宝寺城は上杉方の支城(しじょう)として庄内地方の拠点となりました。

慶長(けいちょう)5年(1600)の関ヶ原の戦いの後には、最上義光(もがみよしあき)の所領となり、大宝寺城は鶴ヶ岡城へと改称されました。

最上氏が元和(げんな)8年(1622)に改易されると、旧領は分割されました。

鶴ヶ岡城には酒井氏が入り城は大改修されました。

酒井氏は代々領民に慕われ、国替えの幕命が下った時にも領民の嘆願運動で撤回となったほどです。

酒井市は明治維新まで城主としてこの地を治めていました。

鶴ヶ岡城の基本情報

別名 大宝寺城(だいほうじじょう)
大梵天城(だいぼんてんじょう)
所在地 〒997-0035
山形県鶴岡市馬場町
城の種類 平城
築城年代 南北朝時代~江戸時代
築城者 武藤氏(大宝寺氏)、酒井氏
主な城主 武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏
文化財史跡の区分
主な復元や整備
アクセス JR 羽越本線「鶴岡」駅から庄内交通バス湯野浜温泉方面行きで約10分「市役所前」下車徒歩約2分
日本100名城スタンプ設置場所 荘内神社社務所
関連施設 致道博物館
リンク 荘内神社
致道館博物館

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・108番・鶴ヶ岡城(つるがおかじょう)をご紹介しました。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年04月16日
犬山城マイスター!たかまる。

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