三春城(みはるじょう)#110『中世山城と近世城郭の二つの顔を持つ城』

続日本100名城・110番・三春城(みはるじょう)をご紹介します。

三春城(みはるじょう)中世山城と近世城郭の二つの顔を持つ城です。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

三春城(みはるじょう)#110『中世山城と近世城郭の二つの顔を持つ城』

(画像:wikipedia)

三春城(みはるじょう)は、中世山城と近世城郭の二つの顔を持つ城です。

三春城は福島県三春町にある城跡です。

見どころ

城の周辺は中世の堀や土塁、石垣がよく残されています。

城の中心部には蒲生氏(がもうし)や松下氏(まつしたし)による近世の石垣がよく見られます。

中世山城から近世の城郭の縄張りの両方を体験することができます。

主な遺構

石垣

土塁など

縄張(なわばり)

近世城郭(きんせいじょうかく)へと改修されるまでは、山頂にある本丸に城主の居館(きょかん)が置かれていました。

その頃は本丸を中心に曲輪(くるわ)を配置した中世山城(ちゅうせいやまじろ)であったと考えられています。

松下長綱(まつしたながつな)による近世城郭(きんせいじょうかく)への改修によって、本丸の西側の尾根上に二の丸を配置し、本丸の南東側の尾根上に三の丸を配置しました。

さらに周囲の山麓に侍屋敷が設けられました。

秋田氏が城主となってからは、山頂・本丸にあった城主の居館は山麓にうつされました。

さらに本丸の下段には天守代用の三重櫓(さんじゅうやぐら)が建てられました。

縄張(なわばり)とは?

縄張(なわばり)の三つの基本形式

歴史

永正(えいしょう)元年(1504)に三春城は築かれたとされます。

築城者は田村義顕(たむらよしあき)です。

田村氏は、伊達氏(だてし)などの周辺の有力大名と婚姻関係を結び、三春の所領を守ってきました。

しかし天正(てんしょう)18年(1590)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)による奥羽仕置(おううしおき)で改易されました。

その後、三春城は蒲生氏(がもうし)の所領となりましたが、上杉氏(うえすぎし)、再び蒲生氏、加藤氏と領主が変わっていきました。

寛永(かんえい)5年(1628)、松下長綱(まつしたながつな)が三春城に入城し、近世城郭へと改修されました。

さらに松下長綱が改易されると、秋田氏が5万5000石で三春城主になりました。

それ以降、明治維新まで秋田氏の所領となりました。

三春城の基本情報

別名舞鶴城(まいづるじょう)
所在地〒963-7756
福島県田村郡三春町字大町
城の種類山城
築城年代文亀(ぶんき)4年(永正(えいしょう)元年(1504))
築城者田村義顕(たむらよしあき)
主な城主田村氏、蒲生氏、松下氏、秋田氏
文化財史跡の区分町指定史跡
主な復元や整備本丸を中心に公園や散策路を整備
アクセスJR 磐越東線「三春」駅から徒歩約30分
「三春」駅から町営バスで約10分「三春町役場」あるいは「保健センター」下車徒歩すぐ
日本100名城スタンプ設置場所本丸
三春町歴史民俗資料館
関連施設三春町歴史民俗資料館
リンク三春城跡|Find!三春

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・110番・三春城(みはるじょう)をご紹介しました。

中世山城と近世城郭の二つの顔を持つ城です。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年04月24日
犬山城マイスター!たかまる。

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