水堀(みずぼり)



近世城郭(きんせいじょうかく)には幅の広い水堀が何重にも巡らされていました。

近世城郭では平城(ひらじろ)が主となってきたためです。

今回は平城に多く見られる水堀について学んで行きましょう。


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近世城郭(きんせいじょうかく)の水堀(みずぼり)

近世になって平城(ひらじろ)が多く作られるようになってくると、堀は水堀(みずぼり)が中心になっていきました。

山城や平山城では堀に水をためることがあまりできませんが、平地であれば川などから水を引いてくることができました。

また、堀を掘れば自然に水が湧いてくることもありました。

かつては水堀を「濠」、空堀を「壕」と書いて区別していたようです。

絵図を読み解くときに役立つかもしれませんね。

▲ 大坂城の内堀。たくさんの水がためられた水堀で堀幅も広い

何重もの堀

近世の城郭では堀を何重にも巡らすことが多かったです。

二重の場合は内側から内堀(うちぼり)、外堀(そとぼり)と呼ばれました。

三重の場合は内側から内堀、中堀(なかぼり)、外堀と呼ばれました。

総堀(そうぼり、惣堀とも書く)というのは一般的に外堀のことを示しますが、城によっては外堀のさらに外側に作られた城下町を囲う堀のことを指すことがあります。

これを総構え(そうがまえ、惣構えとも書く)と呼ぶことがあります。

しかし、現在は都市開発などによって中堀や外堀が埋められ、内堀だけが残っている城が大半です。

▲ 名古屋城の内堀。現存三重櫓である西北隅櫓と石垣、水堀が画になる。

堀の仕掛け

水堀は、堀の幅が広ければ広いほど防御能力が高くなっていきます。

つまり堀幅が広くなると渡っていくことが困難になっていくからです。

重い鎧などを着た武士は堀を泳いで渡ることは簡単にはできませんでした。

重いために沈んでしまうこともありました。

堀の中で動きが鈍くなっているときには、城内からの鉄砲や弓矢の攻撃でやられてしまうこともありました。

さらに水堀の中には、つるを伸ばす植物を植えるのがよいとされていました。

なぜならこのつるが掘を泳ごうとしている敵兵に絡みついて身動きを取れなくするからです。

こういったことも敵を寄せつけいないためには必要なことで、細かなことにも仕掛けを施していたのですね。

犬山城の水堀

犬山城にもかつて水堀がありました。

現在は埋め立てられてしまったため、ほとんど残っていません。

また犬山城の東側には郷瀬川(ごうせがわ)という川が流れていますが、これは堀跡ではありません。

よく間違える方がみえるのですが、郷瀬川は明治になってから作られた川です。

詳しくはコチラの記事で↓↓↓

犬山城は平山城であったため、標高の高い所に作られた堀は空堀、低い所に作られた堀は水堀となりました。

▲ 犬山城の縄張図。水色が水堀、濃い茶色が空堀。

まとめ

近世城郭で平城が増えてくると、堀は空堀から水堀へと進化していきました。

また水堀の中にはつる性の植物を植えたり、堀幅を広くするなどして防御能力を格段に上げていったようです。

ということで、近世城郭に多く見られる水堀の話でした。

じゃあね🖐️

 

2019年08月11日
犬山城マイスター!たかまる。

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犬山城マイスター!たかまる。は、お城をこよなく愛するナビゲーターです。
犬山城に関する活動を独自に、そして精力的に展開しています。
(資格など)
日本城郭検定準1級(1級を取得予定)
公益財団法人 日本城郭協会 会員
公益財団法人 犬山城白帝文庫 会員
★ 訪れた城跡や史跡は全国で300箇所を超える。
★ 犬山城天守・犬山城跡の散策は通算500回以上!
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