登り石垣(のぼりいしがき)

登り石垣は大変貴重な、珍しい石垣です。

お城好きなら「登り石垣」というのを聞いたことがあると思います。

聞いたことない、初めて聞いたという方も、この記事を読めば登り石垣のことがわかります。

深掘りしていきます。

登り石垣(のぼりいしがき)

彦根城の登り石垣(写真:たかまる。)

  • 山麓から山頂に向かって縦方向に作られている
  • 山腹を横移動できないように石垣が阻んでいる
  • 日本国内の城では数えるほどしか現存していない

登り石垣というのをご存知でしょうか?

お城のことが好きなら一度は聞いたことがあると思います。

登り石垣とは、平山城や山城などの山腹に敵の侵入を防ぐために作られた石垣のことで、山麓から山頂に向かって縦方向に作られているのが特徴です。

つまり、山腹を横移動できないように石垣が阻んでいる状態です。

竪堀の逆の石垣バージョンと思ってもらえれば良いと思います。

日本国内の城では数えるほどしか現存していませんので、大変貴重です。

それらの城について、以下に深掘りしていきましょう。

登り石垣のあるお城

彦根城の登り石垣(写真:たかまる。)

  • 松山城、彦根城、洲本城、米子城くらい
  • 彦根城は良好な状態で残っている
  • どこのお城も見ごたえたっぷり

登り石垣のあるお城は、松山城、彦根城、洲本城、米子城くらいです。

その中でも彦根城は良好な状態で残っているので見応えがたっぷりです。

それぞれ詳しく見ていきます。

彦根城

彦根城(写真:たかまる。)

彦根城には登り石垣が、5箇所残っています。

しかもそれぞれ良好に残っているため、登り石垣の教科書的な存在です。

彦根城は1603年に天下普請によって築城が開始されたお城です。

この時、山腹の移動を妨げる竪堀の発展形として築かれた可能性がありますが、登り石垣がいくつも作られており現在も良好な形で保存されています。

普通に彦根城を散策していると突如現れるため、何気なく素通りしてしまいがちですが、とても貴重な遺構なのでじっくりと眺めてみましょう。

松山城

松山城は1602年から加藤嘉明が築城を開始した城です。

当時、国内最大級の登り石垣を築いたようですが、明治維新の頃に北側の部分が取り壊されています。

現在は南側しか残っていませんが、ほぼ完全な状態で保存されています。

古い絵図には完全な形で描かれているので、幕末以降に何らかの理由で北側だけが取り壊されたものと思われます。

登り石垣は麓の二の丸と標高132 m の本丸の間の防御として作られたと考えられています。

洲本城

脇坂安治が洲本城の石垣を大改修した時に、登り石垣を設けたようです。

残念ながら一国一城令で廃城になった際に破壊されているようで、登り石垣の状態はあまり良くないようです。

しかし、山頂から山麓に向けて続く登り石垣は見応えがたっぷりです。

米子城

平成28年(2017)に米子市が国史跡の米子城跡で登り石垣の調査を行いました。

これは江戸時代の米子城絵図に登り石垣が描かれていたためで、その存在は知られていましたが実態は不明でした。

米子市の調査により、中海側の標高約45~60 m 付近で、長さ40 m、 高さ3 m 以上の登り石垣が発見されました。

尾根の途中の岩盤の上に花崗岩などの自然石を重ねた野面積みの構造になっており、周辺からは瓦などが出土しています。

つまり登り石垣だけではなくて、その上に土塀などがあったと思われます。

米子市では、天正19年(1591)に米子城の築城を始めた吉川広家が、登り石垣を採用した可能性があると考えているようです。

登り石垣ができた背景

彦根城の登り石垣(写真:たかまる。)

  • 豊臣秀吉による朝鮮出兵がきっかけ
  • 朝鮮半島での築城術
  • 日本の城で造られた登り石垣は、逆輸入したもの

登り石垣は元々の城作りの中で発展してきたというわけではなく、豊臣秀吉による朝鮮出兵いわゆる文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)での築城術が逆輸入されたような形です。

朝鮮出兵の際、朝鮮半島には倭城(わじょう)をいくつも築城しましたが、その多くは日本からの補給口となる船着場が作られていました。

それは海岸や河川に近いところにありました。

一方で、本丸などは見晴らしが良い小高い丘や山の上にあったため、その間を取り囲むように石垣が造られたのです。

そして山麓から山腹にかけて縦方向にも石垣が造られました。

これが登り石垣です。

朝鮮出兵を終えて撤退した後に、日本に帰ってきた加藤嘉明や脇坂安治などが国内での築城や改修の時に登り石垣を採用したものと考えられています。

しかし、登り石垣の歴史的過程などについてはまだまだ十分には解明されていません。

朝鮮半島に作られたお城は、天守や櫓などは破壊されたりして残っていませんが、天守台や登り石垣などの石垣は現存しています。

近年では韓国でも調査や研究が進んでおり、日本からも倭城(わじょう)を視察しに行く人たちが増えているようです。

朝鮮半島や日本の歴史の痕跡として、これらの倭城も保存されていくことが期待されています。

まとめ

  • 山麓から山頂に向かって縦方向に作られている
  • 山腹を横移動できないように石垣が阻んでいる
  • 日本国内の城では数えるほどしか現存していない

登り石垣は先ほど紹介したように、彦根城、松山城、洲本城、米子城ぐらいにしか残されていません。

大変貴重な石垣ですので、これらの城に行った際にはぜひ登り石垣を見学・堪能してみてほしいと思います。

登り石垣にビックリ!

著者も初めて彦根城で登り、石垣を見たときはテンションが上がりましたー!

これらの城に行ったら、見逃さないように是非とも見学してください。

ということで、登り石垣という特殊な石垣について解説しました。

じゃあね🖐️

2020年02月14日
犬山城マイスター!たかまる。

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