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向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)#111『会津の有力大名・蘆名氏が築いた大規模な山城』

続日本100名城・111番・向羽黒山城城(むかいはぐろやまじょう)をご紹介します。

会津の有力大名・蘆名氏が築いた大規模な山城です。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

向羽黒山城(むかいはぐろやまじょう)#111『会津の有力大名・蘆名氏が築いた大規模な山城』

会津の有力大名・蘆名氏が築いた大規模な山城である向羽黒山城城(むかいはぐろやまじょう)をご紹介します。

向羽黒山城は、福島県会津美里町にある城跡です。

見どころ

山城独自の地形がよく残っています。

堀や平坦地など、城を構成する遺構の大きさがよくわかります。

山頂部にある一曲輪(いちのくるわ)からは会津盆地を一望することができます。

主な遺構

一曲輪(いちのくるわ)

二曲輪(にのくるわ)

土塁

石積みなど

縄張(なわばり)

向羽黒山城は会津盆地の南、阿賀川(あががわ)沿いに位置する標高約408 m の岩崎山に築かれました。

戦略的に重要な山城(やまじろ)です。

阿賀川を天然の水堀として防御しました。

山頂には本丸にあたる一曲輪(いちのくるわ)を配置しています。

尾根伝いに二曲輪(にのくるわ)、北曲輪、三曲輪、伝・蘆名盛氏屋敷など多くの曲輪(くるわ)が配置されました。

二曲輪は一曲輪よりも広い広場で、北東側と西側に虎口(こぐち)が設けられています。

以下は、会津美里町役場ウェブサイトより。(当該ウェブサイトへジャンプします)

 

歴史

向羽黒山城を築いた蘆名氏(あしなし)は鎌倉時代から会津の有力大名として栄えました。

戦国時代には蘆名盛氏(あしなもりうじ)が出て最盛期を迎えます。

百万石の会津太守(あいづたいしゅ)と言われました。

蘆名盛氏は永禄(えいろく)4年(1561)に家督を譲り、隠居しました。

そのときの隠居城として築いたのが、向羽黒山城です。

しかし蘆名氏滅亡と共に廃城となりました。

その後、会津は伊達氏(だてし)、蒲生氏(がもうし)の支配を経て、慶長(けいちょう)3年(1598)に上杉景勝(えすぎかげかつ)に与えられました。

上杉景勝は向羽黒山城を大改修したと言われています。

この時、対徳川の最後の砦と想定して大改修したとも言われています。

しかし慶長(けいちょう)5年(1600)の関ヶ原の戦いの敗戦により、上杉氏は米沢へ移封となったため、向羽黒山城は廃城となりました。

向羽黒山城の基本情報

別名 岩崎城(いわさきじょう)
巌館(いわたて)
所在地 〒969-6133
福島県大沼郡会津美里町船場
城の種類 山城
築城年代 永禄(えいろく)4年(1561)
築城者 蘆名盛氏(あしなもりうじ)
主な城主 蘆名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
文化財史跡の区分 国指定史跡
主な復元や整備 自然公園として東屋や展望台を整備
アクセス JR 只見線「会津本郷」駅より徒歩約30分
日本100名城スタンプ設置場所 向羽黒山城跡整備資料室前
関連施設 向羽黒山城跡整備資料室
リンク 向羽黒山城跡整備資料室
頼れる美里の案内所!会津美里町観光ポータルサイト

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・111番・向羽黒山城城(むかいはぐろやまじょう)をご紹介しました。

会津の有力大名・蘆名氏が築いた大規模な山城です。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年04月28日
犬山城マイスター!たかまる。

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