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犬山城・曲輪の名称の変遷

お城には曲輪(くるわ)というのがあり、近世城郭では一般的に本丸、二の丸、三の丸と呼ばれています。

犬山城の場合は本丸、杉の丸、桐の丸、樅の丸、松の丸と呼ばれます。

曲輪の名称を絵図を基に解説します。

犬山城・曲輪の名称の変遷

  • お城には曲輪(くるわ)がある。
  • 近世城郭では一般的に本丸、二の丸、三の丸と呼ばれる。
  • 犬山城では、最終的に本丸、杉の丸、桐の丸、樅の丸、松の丸と呼ばれた。

お城には曲輪(くるわ)というのがあります。

近世城郭では一般的に本丸、二の丸、三の丸と呼ばれています。

それ以外の名前がついているところもたくさんありますが、基本は本丸、二の丸、三の丸です。

犬山城の場合はどうかというと、最終的には本丸、杉の丸、桐の丸、樅の丸、松の丸と呼ばれます。

”最終的に”と書いたのは、変遷があるからです。

つまり、呼び名が変わっていったのです。

詳しく解説していきます。

曲輪の名称の変遷

では、犬山城の曲輪の名称の変遷について、順番に見ていきましょう。

参考にしたのは以下の絵図です。

参考にした絵図
  • 「犬山城絵図」正保4年(1647)徳川林政史研究所蔵
  • 「犬山城絵図」寛文7年(1667)犬山城白帝文庫蔵
  • 「犬山城御城当分之絵図」寛文8年(1668)犬山城白帝文庫蔵
  • 「尾張国犬山城絵図」寛文8年(1668)犬山城白帝文庫蔵
  • 「尾張国犬山城絵図」天和元年(1681)犬山城白帝文庫蔵

絵図を年代順に見ていくと曲輪の名称の変遷が見えてきて面白いです。

残念ながら著作権などのため絵図をお見せできませんので、筆者が作成した簡易の縄張図で説明したいと思います。

本丸(ほんまる)

「本丸」は、ずーっと「本丸」と描かれていて、変わったりしてません。

これがころころと変わったら、それはそれで大変なことです(笑)

杉の丸(すぎのまる)

本丸の次の順位(第二位)の「杉の丸」は、初め「二の丸」、続いて「杉の丸」となり、以後ずっと「杉の丸」と呼ばれています。

桐の丸(きりのまる)

第三位の「桐の丸」は杉の丸と同じで、初め「二の丸」、続いて「桐の丸」となり、以後ずっと「桐の丸」と呼ばれています。

樅の丸(もみのまる)

第四位の「樅の丸」は、初め「二の丸」と呼ばれていましたが、寛文7年の絵図では名前が消え、寛文8年の犬山城御城当分之絵図では「白土丸」(おそらく、はくどまると読む)となりますが同じころに描かれたと思われる寛文8年の犬山城絵図では名前が消えています。最後に天和元年の絵図では「樅の丸」となりました。

杉の丸(すぎのまる)

第五位の「杉の丸」は、「三の丸」から始まり、「松の丸」→「松の丸」→「二の丸」→「松の丸」と変遷しています。

三の丸(さんのまる)

三の丸については絵図に三の丸自体が描かれていなかったり、名勝が亡かったりすることが多く、変遷が分かりにくいです。

しかし、同じように見てみると途中から「三の丸」と明記されて、それ以後は「三の丸」の名称を使われたと思われます。

縄張図で変遷をたどる

文字だけではわかりにくいので、筆者作図の縄張図で見ていきます。

上述したように、名前が変わっていくのが分かると思います。

曲輪の名称変遷の理由

  • 当初は一般的な名称を使っていた
  • 縄張りの独自性から一般名称では不都合だった
  • 縄張に合わせた名称へと変わっていった
  • 元和元年には呼び名が落ち着いた

曲輪の名称が変わっていく理由については、文書などで残されているわけではないのではっきりとはわかりませんが、いくつかの手がかりを頼りに推測してみます。

まずは、犬山城の絵図で最も古い正保4年(1647)の「犬山城絵図」、いわゆる「正保城絵図」は幕府が拡販に命じて提出させた絵図の控えです。

ここでは一般的に用いられる本丸・二の丸・三の丸という呼び方を使ったと思われます。

しかし、犬山城独特の縄張があります。

簡単に言うと、二の丸と呼ばれた曲輪は大手道を挟んで東に三つの独立した曲輪、西に一つの独立した曲輪が並んでいて、その四つの曲輪の中で杉の丸>桐の丸>樅の丸>松の丸という順位が付けられていました。

そのため、この四つの曲輪を総称して「二の丸」と呼ぶには不都合があったのかもしれません。

そこで、寛文ごろにはそれを区別するために、それぞれの曲輪に名前をつけて呼ぶようになったと思われます。

しかし、樅の丸、松の丸、三の丸については依然として呼び名があっちこっちいっているため、きっちりと決まっていない様子がわかります。

その後、天和元年に「本丸」・「杉の丸」・「桐の丸」・「樅の丸」・「松の丸」・「三の丸」という呼び名に落ち着いて、それ以後はこの呼び名が使われていきました。

まとめ

  • 正保ごろから曲輪の名前が幾度も変わった。
  • 元和元年には名前が落ち着き、それ以後「本丸」・「杉の丸」・「桐の丸」・「樅の丸」・「松の丸」・「三の丸」と呼ばれた。
  • 呼び名に混乱があったのは、犬山城独特の縄張り、つまり曲輪の配置のためと推測できる。

ここまで見てきたように、曲輪の名前がころころと変わるのは珍しいかもしれませんね。

これも、犬山城ならではの特徴でもありますし、それが独特な縄張りのためというのもおもしろいですね。

犬山城にはこんな面白い謎がたくさんありますので、みなさんもぜひ謎を紐解いてみてください。

ということで、犬山城の曲輪の名称の変遷について解説しました。

じゃあね👍

2019年11月24日
犬山城マイスター!たかまる。

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