お城は江戸時代の築城ラッシュで技術が最高レベルに達した!

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの前後から、築城ラッシュが始まりました。

近世城郭(きんせいじょうかく)です。

そして、およそ20年の間に築城技術は最高レベルに達しました。

今回は、ここを深掘りして見ていきます。

お城は江戸時代の築城ラッシュで技術が最高レベルに達した!

姫路城天守(写真:たかまる。)

  • 関ヶ原の戦いにより大名の移動があった
  • 新しい所領に新しい城郭を築いた
  • これを「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼ぶ

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、西軍に加わった大名が改易(かいえき)されました。

また東軍に加わった大名は禄高(ろくだか)の加増(かぞう)が行われました。

このことによって新しい所領を与えられた大名たちが、その地に新しい城郭を築いていきます

これを「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼びます。

これにより、日本における築城技術は最高レベルに達しました。

しかし元和元年(1615)の武家諸法度(ぶけしょはっと)と一国一城令(いっこくいちじょうれい)により新たな築城が行われなくなり、築城技術の進歩はストップしてしまいました。

以下では、ここを深掘りして見ていきます。

慶長(けいちょう)の築城ラッシュ

岡山城の外観復元天守(写真:たかまる。)

  • 関ヶ原の戦い前後から江戸時代初期までの約20年を「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼ぶ。
  • 新しい所領を与えられた大名たちは、そこに新しい城郭を築いた
  • 全国で築城が相次いだ

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い前後から、元和元年(1615)の武家諸法度(ぶけしょはっと)が公布されるまでのおよそ20年間を「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼びます。

これは関ヶ原の戦いに備えて築城が進められたこと、関ヶ原の戦いで西軍に加わった大名が改易されたこと、さらに東軍に加わった大名の禄高(ろくだか)の加増(かぞう)が行われたことによります。

新しい所領を与えられた大名たちは、そこに新しい城郭を築きました。

全国で築城が相次いだのです。

天下普請(てんかぶしん)

駿府城の復元された巽櫓と堀(写真:たかまる。)

  • 天下を治めた徳川家康が、全国の大名にいくつもの城を築かせた
  • これを「天下普請(てんかぶしん)」という
  • 江戸城、駿府城、名古屋城など

関ヶ原の戦いによって徳川家康が天下を治めることとなりました。

その頃はまだ大坂城に豊臣秀頼がいましたが、豊臣方の勢力に備えた徳川家康は全国の大名に号令を出し、いくつもの城を築かせました。

これを「天下普請(てんかぶしん)」と言います。

天下普請で築かれた城については、コチラ↓↓↓の記事に詳しく書いていますのであわせてご覧ください。

普請(ふしん)

江戸城(えどじょう)、駿府城(すんぷじょう)、名古屋城(なごやじょう)など、現在でも名城と言われるような大城郭がこの頃の天下普請によって作られました。

築城技術は最高レベルに

名古屋城の外観復元天守(写真:たかまる。)

  • 築城技術は飛躍的に向上し、最高レベルに達しました
  • 慶長の築城ラッシュと天下普請による
  • 高石垣、層塔型天守、枡形虎口

慶長(けいちょう)の築城ラッシュと天下普請(てんかぶしん)によって、築城技術は飛躍的に向上し、最高レベルに達しました。

  • 高石垣(たかいしがき)
  • 望楼型天守に代わる層塔型天守(そうとうがたてんしゅ)の登場
  • 枡形虎口(ますがたこぐち)

などです。

天下普請を担当した大名はその技術を習得し、自分の所領に持ち帰りました。

そして、それぞれの城に応用して行ったのです。

築城ラッシュの終焉

福井城の高石垣と堀(写真:たかまる。)

  • 一国一城令により城の大部分が廃城
  • 武家諸法度により新しい城の築城が禁止
  • 新しい城の築城がなくなった

元和元年(1615)の大阪の陣の後、徳川幕府は一国一城令(いっこくいちじょうれい)武家諸法度(ぶけしょはっと)を出します。

一国一城令は一つの国に一つの城だけが認められ、他の城は廃城にするというものです。

また、武家諸法度では新しい城の築城や大規模な改修などを禁止し、修繕などが必要な場合は幕府に届け出ることとしました。

そのため新たな城の築城はされなくなりました

その後は

江戸城大手門(写真:たかまる。)

  • 幕末まで新しい城の築城がほとんどなくなった
  • ペリー来航をきっかけに、幕府による新しい築城が行われるようになる

その後は、幕末になるまでほとんど新しい城が築かれることはなく、地震や火災などで破壊された城の修繕などを幕府の許可をもらって行う程度でした。

新しい天守が築かれることもほとんどありませんでしたが、ペリー来航をきっかけに幕府による新しい築城がされるようになりました。

幕末の築城については別の記事で詳しく解説していきます。

まとめ

 江戸城天守台(写真:たかまる。)

  • 関ヶ原の戦いにより大名の移動があった
  • 新しい所領に新しい城郭を築いた
  • これを「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼ぶ

関ヶ原の戦いの前後から元和元年(1615)までの20年間は「慶長(けいちょう)の築城ラッシュ」と呼ばれるほど全国に新しい城が築かれました。

徳川幕府による「天下普請(てんかぶしん)」も合わせ築城技術は飛躍的に向上し、最高レベルに達しました。

現在も残っている名城と言われるような大城郭も、この頃に作られたお城です。

ということで、江戸時代の築城ラッシュによって築城技術が最高レベルに達したというお話でした。

じゃあね🖐️

2020年01月12日
犬山城マイスター!たかまる。

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