城の歴史が大きく変わる幕末のお話です。
幕末になると日本に外国船が現れ、対外的な防衛の強化が必要になりました。
そのため北海道や長崎などに新しい城が作られたり、海岸に砲台や台場などが作られました。
今回は幕末に作られた城について、深掘りしてみていきます。
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幕末に造られた城
- 幕末にペリーなどの黒船が現れた
- 幕府は防衛強化のため、海岸に砲台や台場を建造
- 北海道や長崎には、新しい城を作った
幕末になるとペリーなどの外国船が、日本近海に現れるようになりました。
幕府は開国を迫られながら、防衛の強化が必要と判断し、各地の海岸に砲台(ほうだい)や台場(だいば)などを作りました。
また北海道や長崎などには、新しい城が作られました。
以下に深掘りしてみていきます。
台場(だいば)
- 幕府は海防の必要性を強く感じた
- 各地の海岸に砲台や台場を建設
- 全国に建造された砲台や台場は800以上
現在、お台場といえば東京都品川の台場ですが、ペリーが浦賀に来航して開国を迫ったことで、幕府は海防の必要性を強く感じました。
そこで各地の海岸に砲台(ほうだい)や台場(だいば)を建設させたのです。
幕末によって全国に建造された砲台や台場は800以上とも言われています。
しかし財政難などもあり、途中で放棄されたものも少なくありません。
特に有名な品川台場は続100名城にも選ばれていますので、一度は訪れたい場所ですね。
稜堡式城郭(りょうほしきじょうかく)
- 稜堡式城郭と言えば、函館の五稜郭
- 城の形は星形
- 戊辰戦争の最後の戦いでもある箱館戦争の舞台となった
稜堡式城郭(りょうほしきじょうかく)と言えば、函館に作られた五稜郭(ごりょうかく)が有名です。
西洋式の平城で、蘭学者の武田斐三郎が設計しました。
城の形は星形になっており、突出部には大砲を備えました。
半月堡(はんげつほ)と呼ばれる馬出しは、本来は五つあるはずですが、財政難のため一つだけとなってしまいました。
そして五稜郭は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)の最後の戦いでもある箱館戦争(はこだてせんそう)の舞台となったのです。
日本式の最後の城
- 松前藩が松前城(福山城)を築城
- 天守は三重櫓が代用
- 日本式の最後の城
北海道の松前藩が、幕府の命により松前城(福山城)を築城しました。
天守は三重櫓が代用されました。
また、松前城は日本式の最後の城となりました。
これは幕府の命により作られた城ですが、この後に明治維新が起こり、江戸幕府は崩壊。
これ以降、新しい城が作られることはなくなりました。
まとめ
- 幕末の黒船来航で情勢が一変
- 砲台、台場、新しい城、五稜郭などの建設・築城ラッシュ
- 明治を迎えて役目を終えた
幕末のうねりの中で、世界的な情勢の変化に日本も対応せざるを得なくなり、砲台や台場、新しい城、西洋式の五稜郭などの築城が行われました。
ある意味で、幕末は築城ラッシュだったのかもしれません。
しかし、それらも時代の流れに逆らうことは出来ず、明治という新しい時代を迎えて役目を終えて行きました。
ということで、幕末に作られたお城についての解説でした。
じゃあね🖐️
2020年01月13日
犬山城マイスター!たかまる。