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土浦城(つちうらじょう)#113『室町時代から続き、江戸時代に甲州流築城術で大改修した城』

続日本100名城・113番・土浦城(つちうらじょう)をご紹介します。

土浦城(つちうらじょう)は、室町時代から続き、江戸時代に甲州流築城術で大改修した城です。

茨城県土浦市にあります。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

土浦城(つちうらじょう)#113『室町時代から続き、江戸時代に甲州流築城術で大改修した城』

続日本100名城・113番・土浦城(つちうらじょう)をご紹介します。

土浦城(つちうらじょう)は、室町時代から続き、江戸時代に甲州流築城術で大改修した城です。

茨城県土浦市にあります。

見どころ

本丸にある櫓門(やぐらもん)は関東地方で唯一現存する櫓門です。

この門は明暦2年(1656)に改築されたものです。

本丸は小規模ですが、周囲には水堀(みずぼり)が巡らされています。

亀城の面影が残っています。

主な遺構

本丸

二の丸

土塁

櫓門

霞門

前川口門など

縄張(なわばり)

本丸は周囲に水堀が三重、四重にも巡らされています。

このため、水に浮かぶ「亀城(きじょう)」と呼ばれます。

本丸の中心には御殿(ごてん)が建てられていました。

また、本丸の東西には2基の櫓(やぐら)が建てられていました。

東櫓と西櫓です。

この東櫓と西櫓は昭和24年(1949)の台風で倒壊してしまいました。

しかし昭和63年から平成10年頃にかけて、古い建築法を用いて復元されました。

縄張りは本丸の周りを二の丸が取り囲む輪郭式(りんかくしき)になっています。

本丸・二の丸の中枢部の東から南を、三の丸と西曲輪が囲んでいました。

さらに二の丸の土塀(どべい)は屏風折れ(びょうぶおれ)になっており、横掛かり(よこやがかり)を意識したものとなっています。

本丸正面の大手門は太鼓門(たいこもん)と呼ばれます。

これは櫓門(やぐらもん)で関東地方の城では唯一現存する櫓門です。

歴史

土浦城は室町時代中期頃、小田氏の家臣である菅谷氏(すげのやし)が築いたと言われます。

その後、小田氏の支城として小田氏治(おだうじはる)が入城しました。

天正(てんしょう)18年(1590)の小田原平定(おだわらへいてい)後は徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)の所領となりました。

慶長(けいちょう)5年(1600)の関ヶ原の戦いの後には、主に譜代の藩庁となりました。

松平信興(まつだいらのぶおき)の時代の貞享(じょうきょう)2年(1685)には、甲州流軍学(こうしゅうりゅうぐんがく)による築城術で大改修されました。

現在見られる縄張りは、この時の改修によって作られたものです。

土浦城の基本情報

別名 亀城(きじょう)
所在地 〒300-0043
茨城県土浦市中央1
城の種類 平城
築城年代 室町時代中期
築城者 菅谷氏(すげのやし)
主な城主 菅谷氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏
文化財史跡の区分 県指定文化財2件
主な復元や整備 昭和63年西櫓復元設計
平成元年から3年西櫓復元工事
平成5年東櫓復元計画
平成6年から7年西櫓土塁修復
平成8年から10年東土塁復元工事、東櫓復元工事
平成14年から15年塀復元設計
平成16年平復元整備工事
アクセス JR常磐線「土浦」駅西口から徒歩約15分 または、
JR 常磐線「土浦」駅より関東鉄道バスで約3分「亀城公園前」下車すぐ
日本100名城スタンプ設置場所 土浦城東櫓
関連施設 土浦市立博物館
リンク  

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・113番・土浦城(つちうらじょう)をご紹介しました。

土浦城(つちうらじょう)は、室町時代から続き、江戸時代に甲州流築城術で大改修した城です。

茨城県土浦市にあります。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年05月12日
犬山城マイスター!たかまる。

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