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志苔館(しのりだて)#101『和人とアイヌが戦った道南十二館の一つ』

続日本100名城・101番・志苔館(しのりだて)をご紹介します。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

志苔館(しのりだて)#101『和人とアイヌが戦った道南十二館の一つ』

(画像:wikipediaより)

和人とアイヌが戦った道南十二館の一つである志苔館(しのりだて)をご紹介します。

志苔館は、北海道函館市志海苔町にある城跡です。

見どころ

曲輪がひとつだけです。

この形態がよくわかります。

函館山や下北半島まで望める立地です。

主郭(しゅかく)の東側には土塁があります。

主郭の西側にも土塁があります。

中央部には大手に相当する虎口(こぐち)が設けられていました。

そこには門が構えられていました。

主な遺構

主な遺構(いこう)としては、堀(ほり)や土塁(どるい)があります。

海に臨む丘陵地(きゅうりょうち)に構えられています。

単郭(たんかく)の方形館(ほうけいやかた)です。

空堀(からぼり)

水堀(みずぼり)

堀底(ほりぞこ)の形

土塁(どるい)の構造

土塁(どるい)の種類

縄張(なわばり)

志苔館は西に旧志海苔川、東には沢があり、南は海に面した丘陵地です。

この四方は土塁(どるい)と空堀(からぼり)を巡らせた台形の縄張りになっています。

単郭(たんかく)の方形館(ほうけいやかた)と言われます。

7棟分の建物の跡が確認されています。

それぞれの建物の周囲には柵が設置されていました。

また、その柵は後に塀に変更されたとも考えられています。

周囲に巡らされた土塁は北側が最も高く、西側は二重の土塁になっています。

南北方向に空堀が伸びています。

歴史

14世紀の末頃に蝦夷代官(えぞだいかん)として北海道に津軽安東氏(つがるあんどうし)が進出しました。

このとき、渡島半島(おしまはんとう)の海岸沿いに拠点を築きました。

それは後々、「道南十二館(どうなんじゅうにだて)」と呼ばれました。

志苔館(しのりだて)はその中の最東端に位置する城です。

津軽安藤氏の家臣である小林氏(こばやしし)が築城したと言われています。

年代が推定されている中では最古の館です。

長禄元年(1457)のコシャマインの戦い、永正9年(1512)のショヤコウジ兄弟の戦いなどの、和人とアイヌの抗争のときに志苔館も陥落しています。

その後、安東氏の家臣である蠣崎氏(かきざきし)が松浦氏(まつうらし)を名乗って蝦夷地(えぞち)を支配するようになり、函館十二館の役割は終わったと言われています。

志苔館の基本情報

(画像:wikipediaより)

別名 志濃里館(しのりだて)
所在地 〒0422-093
北海道函館市志海苔町
城の種類 平城
築城年代 14世紀末から15世紀初頭
築城者 小林良景
主な城主 安東氏一族と思われる
文化財史跡の区分 国指定史跡
アクセス JR 函館本線函館駅から函館バスなどで約35分志海苔下車すぐ
※駐車場はありません
関連施設 市立函館博物館
リンク 函館市ホームページ「史跡志海館跡」

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・101番・志苔館(しのりだて)をご紹介しました。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年03月19日
犬山城マイスター!たかまる。

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