犬山城移築門-黒門も犬山のお隣の大口町に移築されていた。―犬山城とセットで訪れたいスポット③徳林寺



明治維新で廃城となった犬山城。

その門のいくつかは売却されて、お寺の山門として移築されています。しかも現存しているのです。

その中のひとつ、「黒門」は犬山のお隣・大口町の徳林寺というお寺に移築されています。

大口町はすぐお隣なので、犬山城に行ったらセットで訪れたいスポットです!


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黒門は大口町の徳林寺というお寺に移築されていた。


▲ 移築された黒門は、丹羽郡大口町の徳林寺山門として、移築されている。

黒門は現役で立派にされていました!

この門は犬山市のお隣、丹羽郡大口町にある徳林寺というお寺に移築されていました。

このお寺のウェブサイトが見当たらなかったので、日本の神社・寺院検索サイトのリンクです。

>

電車で訪れる場合は、名鉄犬山線の柏森駅下車、東方面へ徒歩6、7分ぐらいでしょうか。

お車の場合は、徳林寺の駐車場があります。

黒門は薬医門という形式の門です。

門の形式としては、薬医門(やくいもん)です。

▲ 背面から見ると薬医門であることが一目瞭然。扉も黒く、黒門と呼ばれる所以か?

黒門は、切妻造の脇戸付薬医門、屋根は本瓦葺。

左側に脇壁が付き、中央に両開き大扉、左脇壁に片開脇戸が建て込まれている。

背側から見ると薬医門であることがよくわかります。

薬医門というのは、鏡柱と控柱、冠木を大きな屋根でおおった様式の門のこと。

 ※鏡柱(かがみばしら:左右で歌舞伎を支える柱)
 ※控柱(ひかえばしら:鏡柱を後ろで支える柱)
 ※冠木(かぶき:左右の柱の上部を貫く横木)

黒門の古図と黒門を移築したと言われる徳林寺山門を比較すると、親柱あるいは脇柱と石垣の間の板壁がありません。

どうやら、移築時にこの板壁が併設されたようです。

また、脇壁の片開き脇扉の吊元が左右反対になっています。

さらに、垂木の数が古図よりも現状のほうが多くなっています。

これらの違いについては、移築時や改修時に変更されたのかどうかは不明のようです。

現在は大口町の文化財に指定されています(昭和60年)。

犬山城・黒門は大手道の第三の門だった。

▲ 黒門は大手道第三の門だ!

黒門はどこにある門だったのでしょうか?

犬山城三の丸(現在の城前広場の辺り)から大手道を登って行き、突き当たりを右に曲がった先。ここには大手第二の門・矢来門がありました。

ここをさらに進むと石垣にぶつかり、左に曲がって石垣にぶつかり、また右に曲がるクランク坂になっています。

この右に曲がったところに、黒門がありました。

現在は案内板が右手にあり、その下には礎石(そせき)が一つだけ残っています。

▲ 黒門の案内板
▲ 黒門の礎石が一つだけ残っている

礎石というのは、建物の土台・礎となって、柱などを支える石のことです。

門の礎石というと、門の柱を支える石のことを指します。

門の礎石を見ると、実際に門が建っていたんだという実感がグッと増してきますね。

では、なぜ道の真ん中に門を建てたのか?というと、敵を侵入させないためのバリケード。

そして、黒門の前の矢来門とともに枡形を造るため。

さらには、黒門とその先の岩坂門とで挟まれた枡形を造るため。

まさに、戦うため、防御のために非常に重要な役割を担っていたのです。

※枡形については、こちらをご参照ください。

明治維新の後、各地の城は廃城となりました。

犬山城も例外なく廃城となり、城門などは払い下げられていきます。

一次資料の「城郭内建物払代金記」(村木家文書『犬山城地事件書類』所収)には、堀尾宗六が13円10銭で購入していることが記されているようです。

一方で犬山市史によると、矢来門は明治9年に23円で買い取ったとされていますが、おそらく堀尾宗六が徳林寺に転売したのではないか?とのこと。

屋根瓦は近年に化粧野地板とともに葺き替えられているとのことです。

黒門跡の現況は?

黒門跡の場合は、犬山城三の丸(現在の城前広場の辺り)から大手道を登って、突き当たりを右に曲がった先にある矢来門跡をさらに進みます。

ここをさらに進んだクランク坂のところに、黒門がありました。

この黒門は石垣に挟まれています。

左手は樅の丸、右手は桐の丸の石垣です。

正面は桐の丸跡で、今は針綱神社の本殿があります。

桐の丸の石垣の上には櫓がありました。

つまり、櫓と門が連結されていたのです。

この櫓跡ですが、現在は針綱神社の社務所が建てられています。

さらに、先述したとおり、礎石がひとつだけ残っています。

案内板のすぐ下です。

反対側にも礎石らしきものがありますが、黒門の礎石かどうかはわからないようです。

▲ 黒門の現況。右手は針綱神社の社務所、左手は樅の丸跡の石垣、正面は針綱神社

黒門が移築されているし、礎石も残っているのでここに復元してほしい!

黒門があると風景が一変して、犬山城のディフェンスの様子がとてもよくわかると思います。

しかも、黒門の下の矢来門も移築されているので復元が可能です。

ということは、黒門と矢来門とでできる枡形も復元できるということです!

外枡形を体感することができるようになる。

そんなことになったら、凄いだろうなぁ。

◎矢来門のことはコチラの記事を

ということで、犬山城に行ったらセットで見に行ってみたい移築門の黒門のご紹介でした。

じゃあね👍

2019年03月03日
犬山城マイスター!たかまる。

– 写真はすべて、たかまる。が撮影したもの、または使用を許可されたものです。
– 図はすべて、たかまる。が描いたものです。
– 著作権などはすべて、たかまる。が所有しています。無断使用などは固くお断りします。

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