【第十二代・犬山城主】豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の家臣の一人、三輪吉高が犬山に居たけど、秀次のおじさんらしい。

秀次のお父さんが城主を務めた期間も約2年と短く、次はその兄と言われる三輪吉高が継ぎます。

この男、どんなやつなんでしょうか?

秀次の家臣の一人、三輪吉高が十二代目城主。秀次のおじさんらしい。

秀次のお父さんが城主を務めていましたが、約2年で早々と交代になりました。

次はその兄と言われる三輪吉高です。

吉高の三輪家は尾張国丹羽郡の宮後八幡社の社家だったと言われます。

宮後は現在の愛知県江南市です。

秀次の父・三好吉房の実兄と言われます。

ということは、秀次は甥っ子になるわけですね。

三輪吉高の弟の三好吉房が秀吉の家臣になるので、それにあわせた三輪吉高も秀吉に仕えました。

その後、秀吉の後継者である秀次付となり、文禄元年(1592年)、秀次が治める尾張にある犬山城に入りました。

※秀次は秀吉の跡をついで関白になりながらも切腹しました。いわゆる秀次事件です。

▲ 豊臣の世になってもキナ臭い城主交代劇

文禄4年(1595年)、秀次事件が起こります。三輪吉高は秀次に連座して失脚しました。

秀次事件では身内はことごとく切腹や斬首となりましたが、吉高が死罪となった記録は無いそうです。

余談ですが、それにしても、秀吉の嫡男の秀頼が成人するまで秀次が政を行っていたら、豊臣政権は長期政権になっていただろうにと残念に思ってしまいますね。

●城主データ●

三輪吉高

十二代目城主

在位 約3年:文禄元年(1592年)~文禄4年(1595年)

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

秀次の尾張支配も長くは続かず、犬山城主はまたもや交代するのでした。

ということで、城主が代わろうともいつも受け入れていた、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月23日
犬山城マイスター!たかまる。

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