織田信雄が改易され、尾張は豊臣秀吉の養子・秀次の所領となりました。
犬山城の城主も豊臣系の武将が務めることになります。
まずは豊臣秀次の父・三好吉房です。
三好吉房
豊臣秀吉による北条攻め、いわゆる小田原征伐のあと、織田信雄が改易されました。
これにより、尾張は豊臣秀吉の養子・秀次の所領となりました。
当然、犬山城主も豊臣系の武将が務めることになります。
豊臣系城主の一番始めは、豊臣秀次の父・三好吉房が城主になりました。
尾張の中心は清洲城であり、そこには豊臣秀次が城主となって入りました。
犬山城を父の三好吉房が務めることになりますが、豊臣秀次が多忙のため不在が多く、実質的には三好吉房が尾張の所領経営を行っていたと思われます。
三好吉房は秀吉の姉の夫で、秀吉の義理の兄にあたる人です。
ただ、出自などは不明なことが多く物、はじめは「木下弥助」を名乗っていたようですが、秀次が「三好一族」に養子に出されて三好秀次を名乗ったころから自らも「三好」を名乗りました。
しかし三好一族とはまったく関係がありません。
約2年間、犬山城にいましたが退くことになりました。
●城主データ●
三好吉房
十一代目城主
在位 約2年:天正18年(1590年)~文禄元年(1592年)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
豊臣系の初めての城主は豊臣秀次の父だけど、出自不明な男でした。
ということで、織田系から豊臣系になってもずっと居る、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月21日
犬山城マイスター!たかまる。