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【第十一代・犬山城主】豊臣秀次(とよとみひでつぐ)は尾張を、そして父・三好吉房(みよしよしふさ)は犬山を治めることに!

織田信雄が改易され、尾張は豊臣秀吉の養子・秀次の所領となりました。

犬山城の城主も豊臣系の武将が務めることになります。

まずは豊臣秀次の父・三好吉房です。

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三好吉房

豊臣秀吉による北条攻め、いわゆる小田原征伐のあと、織田信雄が改易されました。

これにより、尾張は豊臣秀吉の養子・秀次の所領となりました。

当然、犬山城主も豊臣系の武将が務めることになります。

豊臣系城主の一番始めは、豊臣秀次の父・三好吉房が城主になりました。

尾張の中心は清洲城であり、そこには豊臣秀次が城主となって入りました。

犬山城を父の三好吉房が務めることになりますが、豊臣秀次が多忙のため不在が多く、実質的には三好吉房が尾張の所領経営を行っていたと思われます。

三好吉房は秀吉の姉の夫で、秀吉の義理の兄にあたる人です。

ただ、出自などは不明なことが多く物、はじめは「木下弥助」を名乗っていたようですが、秀次が「三好一族」に養子に出されて三好秀次を名乗ったころから自らも「三好」を名乗りました。

しかし三好一族とはまったく関係がありません。

約2年間、犬山城にいましたが退くことになりました。

●城主データ●

三好吉房

十一代目城主

在位 約2年:天正18年(1590年)~文禄元年(1592年)

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

豊臣系の初めての城主は豊臣秀次の父だけど、出自不明な男でした。

ということで、織田系から豊臣系になってもずっと居る、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月21日
犬山城マイスター!たかまる。

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