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【第五代・犬山城主】織田信雄の重臣・中川定成(なかがわさだなり)。境目の犬山城を見誤り、池田恒興に奪われてしまう不運な城主。

本能寺の変後、信長の次男信雄が尾張を治めることになったため、その家臣が犬山城に入城しました。

それが五代目城主・中川定成という男です。

織田信雄の重臣・中川定成。

本能寺の変があるまでは織田信長の息子・織田信房(のぶふさ)が2年ほど犬山城主でしたが、本能寺の変で織田家当主信忠(のぶただ)も犬山城主信房も討死したため、尾張は信長の次男信雄(のぶかつ)が治めることとなりました。

信雄はダメ息子のように言われてあまり良い印象がありませんが、尾張の検知をやり直したり、松ヶ島城や清洲城を中心とする支城ネットワークを構築するなど精力的に政を行っていました。

そのため、美濃との境目の城である犬山城には信頼のおける家臣を入れていたと思われます。

それが五代目城主・中川定成です。

中川定成についてはあまり詳しくは資料など出てきません。

出てくるのは小牧・長久手の戦いのときです。

信雄と秀吉が対立するようになり、伊勢で戦が起こります。

このとき、信雄の重臣となっていた中川定成も伊勢に出陣していました。

そして、その隙を狙って秀吉方の池田恒興に犬山城を取られてしまいます。

これが犬山城の二度目の落城です。

織田信長の家臣で乳兄弟でもある池田恒興が織田家を裏切るとは予想もしてなかったでしょうし、美濃から攻める、つまり後堅固と言われる方から攻めてくるなど、中川定成は予想もしてなかったかもしれません。

そして守りが少ない犬山城はあっさりと落城してしまうのです。

中川定成にしてみたら不覚でしたね。

汚点を残してしまった不運な城主とも言えます。

人物データ

中川定成(なかがわさだなり)

五代目城主

在位 約3年:天正10年(1582年)~天正13年(1585年)

※天正12年は小牧・長久手の戦いで奪取されたため、半年ほどは間が抜けている。

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

小牧・長久手の戦いが終わって和睦すると、犬山城に中川定成は戻ってきたようです。

良かったな、定成!

ということで、二度目の落城は戦いが行われるもあっさりだった、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月15日
犬山城マイスター!たかまる。

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