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【第十五代・犬山城主】家康の信頼の置ける男・平岩親吉(ひらいわちかよし)が犬山城主に。

幼い尾張藩主の付家老として任命された平岩親吉。

犬山城を拝領し、十五代城主となりました。

この男、家康の信頼厚い男なんです。

平岩親吉という男

清洲から名古屋に移り、尾張藩ができました。

初代尾張藩主になったのは徳川家康の9男・義直。

そして、その付家老となったのは平岩親吉で、犬山城を拝領しました。

平岩親吉は、家康が今川の人質のときから仕えた人で、非常に信頼されていました。

犬山城主として、12万3,000石を領しました。

相当信頼されていたのがわかりますね。

天文11年(1542年)、平岩親重の次男として三河国額田郡坂崎村で生まれる。

慶長12年(1607年)に義直とともに尾張に移り、藩政を執行しました。

このとき義直は若干7歳。平岩の力が必要でした。

しかし長くは続かず、慶長16年(1611年)12月30日、名古屋城で死去。享年70。

親吉には子がいなかったため、平岩氏が断絶しないようにと家康は八男の松平仙千代を養子として与えていました。

しかし、仙千代は慶長5年(1600年)に亡くなってしまいました。

そのため、親吉は自分が死んだら、犬山の所領は義直に譲るように遺言していたといわれます。

親吉の死後、犬山城主不在となりますが、甥の平岩吉範が後を継いで元和3年(1617年)まで城主だったとも言われています。

●城主データ●

平岩親吉

十五代目城主

在位 約4年:慶長12年(1607年)~慶長16年(1611)

犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。

まとめ

家康の信頼できる男の死去は、尾張藩にとって大きな痛手だったでしょう。

さて、どうなったのでしょうか?

続きはまた今度。

ということで、家康の信頼できる男が守っていた、犬山城でした。

じゃあね🖐️

2019年04月26日
犬山城マイスター!たかまる。

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