はい。
今日のテーマは、貴重な国宝天守はたった5つ!
ということで、国宝天守がなんで5つだけなのか?
ってことを少し紐解いていきましょう。
犬山城天守って、国宝なんですよ。
知ってますよね?
じゃあ、国宝の天守っていくつあるか知ってますか?
答えは、五つです。
今回のブログは、そんな話です。
貴重な国宝天守は、たったの5つだけ!
現存12天守を地図にすると、見えてくることもある!
姫路城
世界遺産にも指定されている、世界に誇るべき国の宝です。
松本城
黒い連立天守と空の青さのコントラストが素敵。
彦根城
井伊家の居城として幕末まで活躍していました。
松江城
2015年に市民県民の長年の願いである国宝に指定されました。
そして、
犬山城
尾張名古屋の支城として、そして、最近まで唯一の個人所有だった城として貴重な存在。
では、なぜこの5つだけが国宝なのでしょうか?
現存している天守は全部で12あるはずなのに。
他の現存天守も国宝になってもよさそうなのに。
その理由は明確になっていませんが、たかまる。的推測を。
カギは、”天守建造年代”
天守建造年代
っていうのは、つまり天守がいつできたんですか?ってこと。
竣工したのはいつか?ってことですかね。
もうひとつ、築城年代って言葉もあります。
これは、いつ作り始めたんですか?ってこと。
お城=城郭ってやつは、何年も何十年もかけて作っていたり、形を変えていったり、拡張したり、いろいろです。
天守もそうで、作り始めてから今の姿になるまでには何度となく増改築を繰り返している。
だから、作り始めた年と、出来上がった年が重要だし、だいぶ期間が開いたりしているのです。
そういう目線で現存12天守を見てみると、国宝指定されたものとそうでないものの違いが見えてきます。
国宝指定の境目が、見えてくる!
これを見ると、築城年代が古くても国宝指定されていないものもありますよね。
逆に、天守建造年代が比較的新しいものは国宝指定されていない。
江戸時代後期に建った松山城は国宝には指定されていないですね。
松山城は日本で最後の完全な城郭建築ですけど。
ということは、武士の世の象徴である「天守」が残っているからすべて国宝というわけではなく、その古さもが国宝指定の重要な要素だということでしょうね。
そうやってみると、
慶長16年(1611年)建造の松江城は国宝だけど、万治3年(1660年)建造の丸亀城は国宝ではない。
ここが境目。
松江城は2014年までは国宝ではなかったですが、「慶長十六」などと墨書きされた2枚の棟札が出てきたことで、天守建造年代が確定し、それが決定打となって国宝に指定されました。
つまりは、やっぱり天守建造年代ってのも重要ってことですね。
といっても、国宝でも天守建造年代がバチッとわかっていないことの方が多い。
ただ、信用のある一次資料やその他の事実などが根拠となって、国宝に指定されています。
松本城や、犬山城もそうです。
ま、いずれにしても、国宝に指定される現存天守は、松江城が最後と言われています。
これ以上、国宝の天守は増えないかも。
まとめ
ね?
犬山城天守って、素敵でしょ?
ということで、国宝天守は五つだけというお話でした。
2017年04月23日
犬山城マイスター!たかまる。