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【お城の基礎知識】城の始まりは環濠集落

城と言うと、天守があって、堀と石垣があるものと思われるかもしれませんが、日本で城の始まりとされているのは「環濠集落(かんごうしゅうらく)」です。

詳しく見ていきましょう。

城の始まりは環濠集落

  • 集落を壕(ごう、ほり。濠とも書く)や柵で防衛
  • これを環濠集落(かんごうしゅうらく)という
  • 環濠集落が「日本の城」の始まり

古くは弥生時代の話です。

稲作などの農耕が発展すると、富や権力土地をめぐる争いが起こるようになりました。

人々が暮らす中心的な集落は壕(ごう、ほり。濠とも書く)や柵で防衛するようになっていきます。

これが環濠集落(かんごうしゅうらく)です。

そしてこの環濠集落が「日本の城」の始まりとされています。

MEMO
ちなみに、「壕」は空堀(からぼり)のこと、「濠」は水堀(みずぼり)のことを表すそうです。

環濠集落の代表例は吉野ヶ里遺跡

  • 環濠集落の代表例「吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)」
  • 防衛のために、壕(ごう、ほり)や土塁、見張りのための物見櫓(ものみやぐら)などがある
  • 二重の環濠(かんごう)で囲まれている

環濠集落は全国各地で発掘、発見されています。

その中でも最も代表的なものが佐賀県にある「吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)」です。

学校で習いましたよね?

弥生時代(やよいじだい)の大規模な環濠集落の遺跡で、その広さは50ヘクタールもあります。

防衛のために、壕(ごう、ほり)や土塁、見張りのための物見櫓(ものみやぐら)などがあります。

内部には住居や祭殿、倉庫、お墓などの施設もあったようです。

集落には土塁と柵を伴った外壕(そとぼり)と内壕(うちぼり)の二重の環濠(かんごう)で囲まれており、楼閣(ろうかく、重層の建物)がありました。

また、見張りのための櫓(物見櫓)も建てられていました。

このような環濠集落は弥生時代などの遺跡としか捉えていなかったかもしれませんが、これも立派な城なのです。

ちょっとびっくりですよね。

まとめ

弥生時代にできた環濠集落(かんごうしゅうらく)が日本の城の始まりと言われています。

それは壕(ごう、ほり)や柵で集落を囲み、見張りの物見櫓なども建てられている立派な城でした。

日本の城の原点とも言える環濠集落も、ぜひ見学してみてください。

これを知っているとお城の見方が変わりませんか?

ということで、城の始まりは環濠集落というお話でした。

じゃあね🖐️

2020年01月06日
犬山城マイスター!たかまる。

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