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上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)#102『蠣崎氏の本拠だった城』

続日本100名城・102番・上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)をご紹介します。

お城めぐりの参考に。

日本城郭検定を受験するときの参考に。

上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)#102『蠣崎氏の本拠だった城』

(写真:wikipedia)

蠣崎氏の本拠だった城・上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)をご紹介します。

上ノ国勝山館は、北海道檜山郡上ノ国町にある城跡です。

見どころ

見どころは、堀(ほり)や土塁(どるい)です。

二重堀切(ほりきり)は断面が V 字になっている薬研堀(やげんぼり)です。

主郭(しゅかく)の南端の土塁には、館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)が文明5年(1473)に建立されたと言われています。

上ノ国勝山館は日本最北にある戦国期の中世城館(ちゅうせいじょうかん)です。

この時代の中世城館の縄張りを体感することができます。

アイヌと和人が混在した証拠を示すような出土品や遺構を見ることもできます。

天の川を望むことができますが、この天の川は初期の頃の和人地と蝦夷地(えぞち)の境界だった川です。

主な遺構

主な遺構(いこう)は、堀(ほり)や土塁(どるい)です。

縄張(なわばり)

勝山館は夷王山(いおうざん)の中腹に築かれました。

宮ノ沢(みやのさわ)と寺ノ沢(てらのさわ)に挟まれた標高 80 ~110 m の丘陵(きゅうりょう)を利用しています。

尾根続きの南後方を堀切(ほりきり)で切断しています。

東西約250 m ×南北約50 m の城の範囲に、本曲輪(くるわ)や北曲輪を構築していました。

前方にあたる北側にも空堀を二重にめぐらしています。

本曲輪の中央に通路が設けられています。

その通路の両側に建物群が整然と並んでいたと推定されます。

歴史

勝山館は松前半島の付け根部分を占める檜山郡(ひやまぐん)上ノ国町にあります。

長禄(ちょうろく)元年(1457)にコシャマイン父子を討った、武田(蠣崎)信広(かきざきのぶひろ)の本拠地です。

正確な築城年代は不明です。

しかし本曲輪南の館神八幡宮(たてがみはちまんぐう)が文明5年(1473)の創建と伝わるので、築城は1470年頃と考えられています。

武田信広の子の蠣崎光広(かきざきみつひろ)が永正(えいしょう)11年(1514)に松前に本拠を移しました。

それにより、次男の高広(たかひろ)が城代(じょうだい)となりました。

それ以降は、副城を意味する脇館(わきだて)から転じて「和喜館(わきだて)」とも呼ばれるようになりました。

勝山館は蠣崎氏の北方日本海ルートの軍事・交易の中心的施設として栄えました。

勝山館は、慶長(けいちょう)年間(1596~1615年)に廃城となりました。

昭和52年4月12日に国の史跡に指定されました。

勝山館跡散策マップ(PDF:3MB)

上ノ国勝山館の基本情報

(写真:wikipedia)

別名 和喜館(わきだて)
脇館(わきだて)
所在地 〒049-0601
北海道桧山郡上ノ国町字勝山
城の種類 山城
築城年代 1470年頃
築城者 武田(蠣崎)信広(たけだ(かきざき)のぶひろ)
主な城主 蠣崎氏(かきざきし)
文化財史跡の区分 国指定史跡
近年の復元や整備 空堀、土塁、掘立柱建物、柵、橋、道、側溝、井戸、庭
アクセス 道南いさりび鉄道木古内駅から函館バスで約1時間10分、大留下車徒歩3分、函館バスに乗り換えて上ノ国駅前から約4分上ノ国下車、徒歩約2分
日本100名城スタンプ設置場所 勝山館跡ガイダンス施設
上ノ国町教育委員会
関連施設 勝山館跡ガイダンス施設
備考 勝山館跡ガイダンス施設が冬期休館の場合は、上ノ国町総合福祉センター内の上ノ国町教育委員会がスタンプ設置場所になります
リンク 上ノ国町HP「史跡上ノ国跡 勝山館跡(国指定史跡)」

地図・マップ

まとめ

続日本100名城・102番・上ノ国勝山館(かみのくにかつやまだて)をご紹介しました。

お城めぐりの参考にしてください。

また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。

じゃあね🖐️

2020年03月21日
犬山城マイスター!たかまる。

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