犬山城・水の手曲輪(みずのてくるわ)

犬山城の北端には小さいながらも曲輪(くるわ)と呼んでも良いようなところがありました。

それを筆者は「水の手曲輪」(みずのてくるわ)と呼びたいと思います。

では解説していきます。

犬山城をディープに知りたい方必見です。


犬山城・水の手曲輪(みずのてくるわ)

犬山城の通称・城山と言われる山の山麓部分は、東側には東谷曲輪(ひがしたにくるわ)、西側には西谷曲輪(にしたにくるわ)がありました。

しかしよく見てみると、北側にも小さいながらも曲輪(くるわ)と呼んでも良いようなスペースがありました。

江戸時代の絵図では名前も書かれていないため、東谷曲輪の一部と考えられていますが、筆者は「水の手曲輪」(みずのてくるわ)と名付けたいと思います。

その理由は三つあります。

  1. 二つの門と塀で囲われていること
  2. ふたつめ監視のための櫓があること
  3. 本丸と直結していること

です。

水の手曲輪にあった門

水の手曲輪には二つの門がありました。

  • 水の手門(みずのてもん)
  • 東谷御門(ひがしたにごもん)

です。

このスペースの東側は東谷曲輪になっており、東谷御門で仕切られています。

つまり東谷御門がこの両方の曲輪の境目に位置しているのです。

西側には水の手門があり、木曽川に直結していました。

江戸時代の絵図によると両方とも高麗門(こうらいもん)もしくは薬医門(やくいもん)であったと考えられます。

水の手曲輪にあった櫓

水の手曲輪にはひとつだけ櫓がありました。

  • 水の手櫓(みずのてやぐら)

です。

水の手門のすぐ脇に水の手櫓がありました。

江戸時代の絵図によると一階建ての平櫓だったと思われます。

水の手曲輪の役割

水の手曲輪の役割は大きく二つあると考えられます。

  • 水を確保する役割
  • 本丸からの裏口としての役割

です。

一つ目について。

犬山城のある山の岩盤はチャートと呼ばれる非常に硬い岩で、掘っても水は出なかったと考えられます。

しかしすぐ北側には木曽川が流れ、水には不自由しなかったことでしょう。

その木曽川の水を汲んで城内にあげたりするための役割として、水の手曲輪があったと考えられます。

水の手とは、城内に飲用水を供給する場所のことです。

二つ目について。

本丸の搦手(からめて)である七曲門(ななまがりもん)と直結しているということです。

水の手曲輪の南は急峻な崖の上に本丸があります。

本丸の搦手である七曲門から七曲道(ななまがりみち)を下ると水の手曲輪に降りてきます。

本丸で有事があった際に城主や城兵が七曲門から七曲道を通って木曽川へ逃げ出すための曲輪としての役割と、木曽川を通って物資などを運んできた際に水の手曲輪から本丸へ運ぶための役割があると思います。

水の手曲輪の位置と現況

水の手曲輪の位置はマップを作ったのでそちらをご覧ください。

 

また縄張り図も作りましたので併せて確認してください。

エリアとしてはとても狭いことがよく分かると思います。

非常に狭い曲輪だが、役割は重要だ(図:たかまる。)

現況は道路になっていて遺構などはほとんど確認できませんが、水の手櫓の石垣の一部ではないだろうかという石垣が見えます。

水の手櫓のあった辺りに石垣が残っている。水の手櫓の石垣か?(写真:たかまる。)

これについては詳細な調査が行われていないので、今後の調査・研究を待ちたいと思います。

非常に小さいくるわではありますが、絵図にはしっかりと書かれていますので重要な役割を担っていたところだと考えられます。

また1780年の絵図には侍屋敷も書かれているため、厳重に警備されていたことが伺えます。

現況は写真のようですが、すぐ城山の岩肌や七曲道と思われる林が見え、当時を想像できるので是非見て欲しいところです。

まとめ

水の手曲輪には二つの門と一つの櫓がありました。

  • 水の手門(みずのてもん)
  • 東谷御門(ひがしたにごもん)
  • 水の手櫓(みずのてやぐら)

侍屋敷もあり厳重に守っていたことが伺えます。

本丸に直結しているという点で、重要な役割を担っていたと考えられます。

ということで、犬山城の水の手曲輪の解説でした。

じゃあね🖐️

2019年11月13日
犬山城マイスター!たかまる。

おススメの本

今回の内容に関連して、おススメの本をご紹介!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA