犬山城・松の丸御殿

犬山城の二の丸のひとつ、「松の丸」には松の丸御殿がありました。

これは17世紀中頃に作られたと言われています。

しかし天保13年(1842)の犬山大火によって松の丸御殿は焼失してしまいます。

その後、翌天保14年(1843)に建て直されました。

以下に深掘りしていきます。

松の丸御殿

松の丸御殿のジオラマ(写真:たかまる。)

  • 犬山城の松の丸(二の丸の一つ)には松の丸御殿があった
  • 尾張藩主の犬山御成の際に、饗応の場として使用
  • 天保13年の犬山大火によって焼失した

犬山城の二の丸は四つの独立した曲輪(くるわ)からなっています。

その中の最も大きい曲輪が松の丸です。

この松の丸には御殿がありました。

松の丸御殿と呼ばれます。

17世紀中頃に建てられたと言われています。

天保13年(1842)の犬山大火によって松の丸御殿も焼失してしまいました。

しかし翌天保14年(1843)には建て直されたようです。

詳しく見ていきましょう。

松の丸御殿があった場所

松の丸の南側には堀と二つの櫓が配置された。松の丸御殿のジオラマ(写真:たかまる。)

  • 松の丸御殿は松の丸にあった
  • 松の丸は二の丸の一つ
  • 御殿、櫓が二つ、門が二つあった

松の丸御殿は、松の丸にありました。

松の丸には御殿の他に、櫓が二つ、門が二つありました。

松の丸にあった建物
  • 松の丸御殿(まつのまるごてん)
  • 巽櫓(たつみやぐら)
  • 坤櫓(ひつじさるやぐら)
  • 松の丸門(まつのまるもん)
  • 松の丸裏門(まつのまるうらもん)

松の丸は、犬山城の二の丸のひとつで、その中で最も大きい曲輪です。

犬山城の曲輪は4つの独立した曲輪からなっている、とても独特な縄張りです。

これについては以下の記事でも詳しく書いているのでご覧ください。

犬山城・二の丸で最大の曲輪(くるわ)・松の丸には御殿があった!

犬山城・二の丸で最大の曲輪(くるわ)・松の丸には御殿があった!

犬山城は連郭式(れんかくしき)=くるわ三兄弟なのだ! 曲輪の配置が典型的でびっくり!

犬山城は連郭式(れんかくしき)=くるわ三兄弟なのだ! 曲輪の配置が典型的でびっくり!

松の丸の位置をマッピングしておいたので、下のマップもご参考に。

松の丸御殿跡の現況

松の丸御殿跡は広々とした駐車場になっている(写真:たかまる。)

  • 三光稲荷神社と針綱神社の一部
  • 目に見える遺構などは残っていない
  • 地形が残っているか?

松の丸御殿があった所の現況です。

松の丸は現在、三光稲荷神社と針綱神社の一部となっています。

針綱神社の駐車場がある辺りが松の丸御殿のあったところと思われます。

現在は、松の丸御殿に関わるもので目に見える遺構などは残っていません。

しかし、駐車場になっているため当時の広さなどを少しだけうかがい知ることができます。

絵図によるとだだっ広い所に御殿が建てられているように描かれていますが、現況は南が一段低いような地形になっています。

当時からこのような地形だったのか、明治ごろに針綱神社が遷移されたときに造成されたのかはよく分かっていません。

このあたりは今後の調査や研究などによってより明確になってくるものと期待されます。

松の丸御殿の図

松の丸御殿のジオラマ(写真:たかまる。)

  • 門や櫓の位置関係がわかる
  • 部屋の配置がわかる
  • 機会があったら見てほしい絵図

松の丸御殿の図は犬山城白帝文庫が所蔵しています。

著作権などの関係でここでは掲載することができませんが、松の丸にほぼ目いっぱい御殿が建てられている様子がよくわかります。

門や櫓などとの位置関係も分かりやすく書かれています。

また、部屋の配置などもよくわかります。

機会があったら是非ご覧いただきたいと思います。

とは言っても想像できないと思うので、「図説犬山城」に掲載されている松の丸御殿の図をトレースしました。

松の丸御殿の図(作図:たかまる。)

松の丸に目いっぱい、御殿が建てられています。

櫓や門の位置もはっきりと描かれているので、現地に行って確認する際の参考になるかと思います。

松の丸御殿の役割

松の丸の東南隅の石垣が一部残っている(写真:たかまる。)

  • 尾張藩主の犬山御成のときの饗応の場
  • それにあわせて増築や修繕している
  • 一大行事

松の丸御殿の役割は、尾張藩主が犬山を訪れた時の休憩や饗応(きょうおう)の場として使われたことです。

犬山御成の会場
  • 上段の間(14畳)、二十四考之間(21畳)=メイン会場
  • 周辺の縁側=賜酒、御目見、御礼言上などの重要な場

尾張藩の藩主が犬山を訪れることを「犬山御成(いぬやまおなり)」と呼びますが、この御成にあわせて御殿の修復や増築などが行われていたようです。

犬山御成にあわせて松の丸御殿の整備したところ
  • くれ縁(雨戸など建具の内部にある縁側)
  • 竹縁
  • 屋外の仮設施設 など

犬山に尾張のお殿様をお迎えするということは一大行事だったということです。

松の丸御殿を襲った悲劇

三の丸跡から松の丸御殿跡を眺める。現在は三光稲荷神社、針綱神社が鎮座される(写真:たかまる。)

  • 天保13年に犬山大火があった
  • 松の丸御殿も焼失
  • 櫓や門など犬山城内は大打撃

天保13年(1842)6月22日に余坂村の瓦屋から出火し、犬山城の城内の櫓や門などが焼失または半焼しました。

これを天保13年の犬山大火と呼びます。

このとき松の丸御殿も大火に襲われ焼失してしまいました。

しかし翌天保14年(1843)に尾張藩の藩主を迎えて饗応がなされており、その時までに松の丸御殿も建て直されたのではないかと思われます。

まとめ

松の丸御殿のジオラマ(写真:たかまる。)

  • 犬山城の松の丸(二の丸の一つ)には松の丸御殿があった
  • 尾張藩主の犬山御成の際に、饗応の場として使用
  • 天保13年の犬山大火によって焼失した

松の丸御殿は、犬山城の松の丸にあった御殿で饗応の場として使われました。

現在は針綱神社や三光稲荷神社になっており、遺構などはほとんど残っていないと思われますが、駐車場になっているため当時の広さなどを少しだけうかがい知ることができます。

犬山城、針綱神社、三光稲荷神社にお越しの際は、松の丸御殿跡にも立ち寄ってに思いを馳せてみてください。

ということで、犬山城の松の丸御殿をご紹介しました。

じゃあね🖐️

2020年03月14日
犬山城マイスター!たかまる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください

CAPTCHA