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犬山城の別名は白帝城(はくていじょう)。荻生徂徠が名付け親。

お城には別名がありますよね。

犬山城にも別名があります。

白帝城(はくていじょう)といいます。

その由来は何でしょうか?

名付け親は誰なんでしょうか?

犬山城の別称についてご紹介します。

犬山城の別名は白帝城(はくていじょう)。荻生徂徠が名付け親。

犬山城は別名を白帝城といいます。

これは、木曽川沿いの小高い山の上にある天守の佇まいを、中国・長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんでいると伝えられます。

▲ 中国の白帝城もこんな姿なのだろうか?

中国の白帝城とは?

元祖でもある中国の白帝城とはどんなお城なのでしょうか?

と調べてみたところ、残念ながらいまは三峡ダムの完成によって周囲は水没してしまっているとのこと。

しかし、いまは観光地となっていて、遊覧船から見ることもできるようです。

中国の白帝城は、三国志の舞台にもなっており、あの劉備玄徳が崩御した城として有名だとか。

▲ こんな景色を荻生徂徠は見ていたのだろうか

李白の詩を詠む

では、元となっている李白の詩を見てみましょう。

原文は難しいので、書き下し文と現代語訳を。

書き下し文

朝(あした)に辞す白帝彩雲の間 
千里の江陵一日にして還(かえ)る 
両岸の猿声啼いて住(や)まざるに 
軽舟已(すで)に過ぐ万重の山 

現代語訳

朝焼け雲に染まる白帝城に、朝早く別れを告げてから 
千里も離れた江陵まで、一日で着いた。 
(私の乗る船が進む)川の両岸からは猿の鳴き声が絶えず聞こえ 
その鳴き声がやまないうちに、船はすでにたくさんの山々の間を過ぎていった。

朝焼け雲に染まる白帝城。

なんとも風情のある情景が思い浮かびますね。

それが木曽川沿いにある犬山城と良く似ているということなのでしょう。

▲ 彩雲とはどんな朝焼け雲だったのだろう

名付け親の荻生徂徠

この別名の名付け親は、江戸時代の儒学者・荻生徂徠(おぎゅうそらい)といわれています。

彼は江戸時代の儒学者で、1666年生まれ、1728年に没しました。

独学で初め朱子学を学んでいたが,のちに儒学を説いたとされます。

徳川綱吉の側近・柳沢吉保や、徳川吉宗に重用されました。

このころ、犬山を訪れて『白帝城』と命名したんだとか。

彩雲橋も李白の詩から

犬山城北東隅にある丑寅櫓跡の石垣。

これがあるすぐ脇に郷瀬川があって、ここに架かってる橋は『彩雲橋』という名前です。

この彩雲というのも李白の詩になぞらえて名付けられたと思われます。

ちなみに、この郷瀬川は明治19年(1886年)に掘削された人工の川。

彩雲橋は昭和4年に架けられた橋だそうです。

▲ 犬山城の丑寅櫓跡の石垣と彩雲橋

まとめ

犬山城は別名を『白帝城』と言います。

それは中国長江流域の『白帝城』を読んだ李白の詩になぞらえて、江戸時代の儒学者・荻生徂徠が命名したと伝わります。

いまでも、その景色を思い起こさせるような絶景が木曽川には残されています。

ということで、犬山城の別名をご紹介しました。

じゃあね🖐️

2019年06月07日
犬山城マイスター!たかまる。

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