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小牧・長久手の戦いと犬山城

尾張を中心として行われた大規模戦争の小牧・長久手の戦い。

その尾張の緒戦は「犬山城の戦い」でした。そして終戦まで、犬山城は秀吉方の本城となりました。

犬山城と小牧・長久手の戦いは切っても切れない一大事です。

ここでは、犬山城を中心に小牧・長久手の戦いをくわしく見ていきましょう。

歴史

年月日織田信雄・徳川家康方羽柴秀吉方
天正12年
3月6日
信雄秀吉と通じたとして家老の津川義冬、岡田重孝、浅井長時を長島城で殺害
三家老の居城である星崎城(愛知県名古屋市)・松ヶ島城(三重県松阪市)・苅安賀城(愛知県一宮市)を攻め落とす

家康、浜松城を出立。清州城へ向かう
秀吉信雄討伐を命じる
3月9日神戸正武らが亀山城(三重県亀山市)を攻撃(亀山城の戦い)亀山城の関盛信・一政らが応戦
3月13日信雄、清洲城(愛知県清須市)に入城
家康、清洲城に入城し信雄と合流
池田恒興が犬山城(愛知県犬山市)を奇襲し奪取
犬山城の戦い
3月14日犬山城主・中川定成が峯城に援軍し、蒲生隊らと対戦蒲生氏郷、堀秀政、長谷川秀一、滝川一益らが峯城を攻撃
(峯城攻め)
3月15日信雄家康連合軍が清洲城を出立し、小牧山(愛知県小牧市)に着陣
3月16日森長可が羽黒(愛知県犬山市)に布陣
3月17日早朝、酒井忠次、松平家忠、奥平信昌らが羽黒の森長可隊を急襲し、撃破羽黒八幡林の戦い
3月18日家康、榊原康政に小牧山の改修を命じる
3月21日信雄家康が紀伊の根来衆に挙兵を要請秀吉、大坂城(大阪府大阪市)を出立
3月22日小牧山の改修が完了
3月23日蟹江清水砦・北外山砦・宇田津砦いずれも愛知県小牧市)が完成
3月24日小幡城・比良城(いずれも愛知県名古屋市)を改修し、三河と清須の防衛線とする
3月25日秀吉、岐阜城(岐阜県岐阜市)に着陣
3月27日秀吉、犬山城(愛知県犬山市)に着陣
3月28日家康、小牧山城に着陣秀吉楽田城(愛知県犬山市)に到着、本陣とする
二重堀砦・小松寺山砦(いずれも愛知県小牧市)青塚砦・内久保砦(いずれも愛知県犬山市)などの砦を築かせる
3月29日信雄、小牧山城に着陣
家康、田楽砦(愛知県小牧市)を築き、小牧山に通じる軍道を開く
4月織田信包・蒲生氏郷が南伊勢の戸木城(三重県津市)を攻撃
戸木城は10月下旬の講和まで防戦
4月2日秀吉軍、姥ケ懐(愛知県小牧市)を襲撃
4月3日家康軍、二重堀砦を奇襲
4月4日秀吉、岩崎山と二重堀の間に土塁を築く
4月5日家康、小牧山北麓と八幡塚の間に土塁を築く
4月6日夜半、岡崎侵攻隊として池田恒興森長可・堀秀政・羽柴秀次が三河に向け出陣(三河中入り作戦)
4月7日家康、篠木の住民から岡崎侵攻隊出陣の知らせを受ける岡崎侵攻隊、篠木、上条村に砦を築いて宿営
4月8日松ヶ島城主・滝川雄利が浜田城(三重県四日市市)に移って籠城羽柴秀長・筒井順慶らが南伊勢の松ヶ島城(三重県松阪市)を占領
19時、徳川先遣隊(丹羽氏次・水野忠重、榊原康政・大須賀康高ら)が小牧山を出立
20時、家康も小牧山を出立
22時、徳川先遣隊が小幡城に着陣
24時、家康が小幡城に着陣
4月9日2時、小幡城を出立未明、池田恒興隊・森長可隊が丹羽氏重らの岩崎城(愛知県日進市)を攻撃、占拠(岩崎城の戦い)
三好秀次隊、白山林(愛知県尾張旭市)で休息
4時30分ごろ、織田・徳川本体が金色山(愛知県長久手市)に着陣
水野忠重・丹羽氏次・大須賀康高隊が三好秀次隊を後方より攻撃
榊原康政隊が三好秀次隊を側面より攻撃(白山林の戦い)
三好秀次隊が襲撃され壊滅、敗走する
榊原康政隊が桧ヶ根(愛知県長久手市)に布陣していた堀隊を攻撃するも撃破される(桧ヶ根の戦い)堀秀政隊が秀次隊救出のため北へ退却、桧ヶ根に布陣
榊原康政隊に攻撃を受けるも勝利
8時ごろ、信雄家康本隊(織田信雄徳川家康・井伊直政・水野忠重)が岩作を通って富士ヶ根(御旗山)、(いずれも愛知県長久手市)に進軍
さらに前山、仏ヶ根に進み、高所を占拠して布陣
池田恒興隊・森長可隊が岩崎城から北上し、長久手に布陣
10時、開戦
徳川軍が勝利(長久手の戦い)
池田恒興・元助・森長可が討死
池田恒興隊・森長可隊は壊滅
17時、秀吉が楽田城を出立、龍泉寺に着陣
信雄家康が小幡城を出立
20時ごろ、小牧山に帰陣
4月10日秀吉、楽田に帰陣
4月11日三好秀次、大垣城(岐阜県大垣市)に入城
4月12日秀吉、犬山城に入城
4月14日秀吉羽黒砦(愛知県犬山市)を修復
4月17日遠山利景が旧領の明智城(岐阜県可児市)を奪還
5月1日秀吉、青塚砦・楽田城・犬山城に一部を残して尾張を離れる
5月3日信雄、長島城(三重県桑名市)に入城
5月7日羽柴秀勝、加賀野井城(岐阜県羽島市)を攻撃し、落城
5月8日羽柴秀勝、奥城(愛知県一宮市)を攻撃し、落城
5月10日羽柴秀勝・一柳直末、竹ヶ鼻城を攻撃
5月24日竹ヶ鼻城主・不破広綱からの援軍要請に対し、家康が返書を送る
6月3日竹ヶ鼻城主・不破広綱が降伏することを伝えたことに、信雄が返書を送る
6月10日竹ヶ鼻城開城(竹ヶ鼻城水攻め)
6月12日小牧山城に酒井忠次を置き、家康が清洲城に入城
6月13日秀吉、岐阜城に入城
6月16日滝川一益と九鬼嘉隆が蟹江城(愛知県海部郡蟹江町)・下市場城 (愛知県海部郡蟹江町) ・前田城(下之一色城)(愛知県名古屋市)を攻撃し落城
信雄家康が救援に駆けつけ、蟹江城・下市場城・前田城を包囲
6月19日下市場城が開城し、奪還
6月23日前田城が開城し、奪還
6月28日秀吉が大坂城に帰還
7月3日信雄家康が蟹江城を奪還(蟹江城合戦)
7月5日信雄家康が伊勢に侵攻
7月9日秀吉、近江坂本へ進軍
7月13日信雄、長島城へ帰還
家康、清洲城に入城
7月18日秀吉、岐阜城に入城
7月29日秀吉、大坂城に帰還
8月19日秀吉・秀次、犬山城に入城
秀吉軍、小口(愛知県丹羽郡大口町)・羽黒(愛知県犬山市)に兵を進める
8月27日秀吉・秀次、楽田城に入城
8月28日家康、岩倉城(愛知県岩倉市)に入城秀吉軍、小折(愛知県江南市)に兵を進める
9月7日信雄、秀吉と和睦交渉開始
9月17日和睦交渉決裂
10月1日秀吉、坂本へ
10月9日秀吉、大坂城に帰還
10月15日秀吉、従五位下左近衛権少将に叙位任官
10月17日家康、浜松城へ帰還
10月28日秀吉、伊勢国浜田へ
11月9日家康、再び清州城に入城
11月11日信雄、秀吉と単独講和秀吉、信雄と和睦
11月16日家康、浜松へ帰国開始
11月17日秀吉、坂本城へ帰還
11月21日秀吉、上洛。従三位権大納言に叙任される
※日時や事柄は諸説あるため、総合して年表を作成した

小牧・長久手の戦いは、織田信雄徳川家康連合軍と羽柴秀吉軍が尾張・伊勢地方で激突した戦いです。

天正12年(1584年)3月~11月の9か月間において行われました。

巷では「徳川家康と豊臣秀吉の天下争い」と言われることが多いですが、織田家の正統な後継者となった織田信雄(おだのぶかつ、信長の次男)と、本能寺の変以降に信長家臣団のなかで一気に勢力を拡大した羽柴秀吉(この当時はまだ羽柴姓を名乗っている。豊臣姓を名乗るのは天正14年(1586年)9月以降)との政権争いなのです。

その舞台が織田信雄の領国、伊勢・尾張で、各地で局地戦が繰り広げられました。

また、築城合戦だったともいえるほど多くの城がこの戦いをきっかけに改修されました。

尾張地方での緒戦は「犬山城の戦い」です。

この戦いをきっかけに、小牧山城と楽田城での長い期間に及ぶにらみ合いへと続き、さらには近辺で多くの砦が築かれる築城合戦へとつながっていきました。

犬山城の戦いのポイントは3つです。

犬山城の戦い 3つのポイント

天正12年3月13日(1584年4月23日)

小牧・長久手の戦い・天正13年3月13日の動き
小牧・長久手の戦い・天正13年3月13日の動き

秀吉方の池田恒興が居城・大垣城を出立。嫡男の元助(岐阜城主)と合流し、東美濃に向けて進軍しました。

東美濃の兼山城には娘婿の森長可がいます。

池田恒興は織田信長の家臣だったため、織田信雄池田恒興・元助、森長可信雄方になると踏んでいたのでしょう。

それに加えて、伊勢方面へ秀吉軍が侵攻していることもあり、犬山城主・中川定成は伊勢方面へ出撃していました。犬山城は中川定成の叔父・中川清蔵主がわずかな手勢で守っていただけでした。

犬山城の戦い・天正13年3月13日の動き
犬山城の戦い・天正13年3月13日の池田恒興・元助の動き。犬山城を急襲した。

それらの状況をすべて踏まえたうえで、池田恒興は夜陰に乗じて鵜沼から木曽川を渡り、犬山城を急襲しました。

守備の手薄な犬山城は中川清蔵主の奮戦もむなしく、落城しました。

犬山城留守居・中川清蔵主犬山城主・中川定成の叔父) vs 大垣城主・池田恒興

勝者は池田恒興です。これにより秀吉方は尾張国での橋頭堡として犬山城を抑えることができました。

そしてこの戦いをきっかけに、主戦場は尾張地方へと移っていったのです。

犬山城の戦い後・天正13年3月15日の信雄・家康の動き
犬山城の戦いを知った信雄・家康は天正13年3月15日に小牧山に布陣した

もっと詳しく知りたい人は…

こちらをどうぞ  ↓ ↓ ↓

【小牧・長久手の戦い/犬山城の戦い】①池田恒興、犬山城を奪う!

小牧・長久手の戦いの主要登場人物をご紹介します。

この戦いは、織田信雄徳川家康連合軍 vs 羽柴秀吉というのが大きな構図です。

一般的には「徳川家康 vs 豊臣秀吉」の天下人の一騎打ちと言われがちですが、織田信雄と羽柴秀吉のケンカというのが正しい見方です。

信雄家康方を秀吉方をで表示しました。

メインキャスト

織田 信雄

Oda Nobukatsu

小牧・長久手の戦いの主人公。
織田信長の次男にして、本能寺の変後には織田の正統な後継者として美濃・伊勢を領国としていたが、一挙に勢力を拡大してきた織田家家臣の羽柴秀吉にケンカを売った男。
当時 26歳(推定)。

羽柴 秀吉

Hashiba Hideyoshi

小牧・長久手の戦いのもう一人の主人公。
本能寺の変の後、織田家臣団のなかで一気に勢力を拡大し、織田家よりも力をもちつつあったころ。
のちに関白となって天下を統一するが、その中でもターニングポイントになったと言っても過言ではないのが、この戦いである。
当時 46歳(推定)。

徳川 家康

Tokugawa Ieyasu

織田信雄と共同戦線を張って羽柴秀吉と対峙した、後の天下人。
この戦いによって秀吉と家康の立ち位置が決まったと言っても過言ではない。
徳川家にとっては後世語り継がれることになる大きな戦い。
当時 41歳(推定)。

池田 恒興

Ikeda Tsuneoki

この男が、小牧・長久手の戦いの流れを大きく変えた。
一つは、「犬山城の戦い」を仕掛けて犬山城を奪取。主戦場が尾張へと移った。
もう一つは、「三河中入り作戦」で岡崎へ向けて進軍するも長久手の戦いで撃破されて討死。
信長亡き後、もがいて散った。
当時 48歳(推定)。

森 長可

Mori Nagayoshi

鬼武蔵と呼ばれるほど武に長けた男。
本能寺の変後は東美濃を一気に平定するなど、勇猛果敢に戦いに挑んだ。
長久手の戦いで討死。最後は鬼武蔵の名に恥じない散り方だったことだろう。
当時 27歳(推定)。

中川 定成

Nakagawa Sadanari

ときの犬山城主で、織田信雄の重臣。
伊勢へ出陣中、池田恒興に犬山城を奪われてしまう不運の男。
この戦いの後に犬山城主に返り咲き、信雄の筆頭家老として領国経営を支えた。
年齢不詳。

主な登場人物 一覧

織田信雄・徳川家康方

織田信雄方

画像:織田信雄像(総見寺蔵)
織田信雄像(総見寺蔵)

小牧・長久手の戦いの主人公。
織田信長の次男にして、本能寺の変後には織田の正統な後継者として美濃・伊勢を領国としていたが、一挙に勢力を拡大してきた織田家家臣の羽柴秀吉にケンカを売った男。
当時 26歳(推定)。

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ときの犬山城主で、織田信雄の重臣。
伊勢へ出陣中、池田恒興に犬山城を奪われてしまう不運の男。
この戦いの後に犬山城主に返り咲き、信雄の筆頭家老として領国経営を支えた。
年齢不詳。

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徳川家康方

画像:徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)
徳川家康像(狩野探幽画、大阪城天守閣蔵)

織田信雄と共同戦線を張って羽柴秀吉と対峙した、後の天下人。
この戦いによって秀吉と家康の立ち位置が決まったと言っても過言ではない。
徳川家にとっては後世語り継がれることになる大きな戦い。
当時 41歳(推定)。

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羽柴秀吉方

豊臣秀吉像(狩野光信筆、高台寺蔵)

小牧・長久手の戦いのもう一人の主人公。
本能寺の変の後、織田家臣団のなかで一気に勢力を拡大し、織田家よりも力をもちつつあったころ。
のちに関白となって天下を統一するが、その中でもターニングポイントになったと言っても過言ではないのが、この戦いである。
当時 46歳(推定)。

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画像:池田恒興像(林原美術館蔵)
池田恒興像(林原美術館蔵)

この男が、小牧・長久手の戦いの流れを大きく変えた。
一つは、「犬山城の戦い」を仕掛けて犬山城を奪取。主戦場が尾張へと移った。
もう一つは、「三河中入り作戦」で岡崎へ向けて進軍するも長久手の戦いで撃破されて討死。
信長亡き後、もがいて散った。
当時 48歳(推定)。

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画像:森長可像(可成寺所蔵)
森長可像(可成寺所蔵)

鬼武蔵と呼ばれるほど武に長けた男。
本能寺の変後は東美濃を一気に平定するなど、勇猛果敢に戦いに挑んだ。
長久手の戦いで討死。最後は鬼武蔵の名に恥じない散り方だったことだろう。
当時 27歳(推定)。

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犬山城主

当時の犬山城の城主は中川定成でした。

池田恒興が犬山城を奪取したものの、長久手の戦いで討死。

代わって犬山城に入ったのは加藤光泰。

終戦後は尾張は信雄領にもどったため、再度中川定成が入城しました。

小牧・長久手の戦いの最中は城主・城代がころころと代わる混乱期だったのです。

中川定成(~天正12年3月)→池田恒興(3月~4月)→加藤光泰(4月~11月)→中川定成(11月~)

解説図

小牧・長久手の戦い前夜の勢力図
小牧・長久手の戦い前夜(天正13年3月6日以前)の勢力図
小牧・長久手の戦い前夜の勢力図(信雄・家康のもくろみ)
小牧・長久手の戦い前夜(天正13年3月6日以前)の信雄・家康のもくろみは池田恒興・森長可も連携して対秀吉包囲網を築くことだった
小牧・長久手の戦い前夜の勢力図(天正13年3月13日以降)
小牧・長久手の戦い(天正13年3月13日)以降の勢力図。池田恒興・森長可が秀吉についたため、尾張・美濃の境が前線になった
小牧・長久手の戦い・天正13年3月13日の動き
小牧・長久手の戦い・天正13年3月13日の動き
犬山城の戦い・天正13年3月13日の動き
犬山城の戦い・天正13年3月13日の池田恒興・元助の動き。犬山城を急襲した。
犬山城の戦い後・天正13年3月15日の信雄・家康の動き
犬山城の戦いを知った信雄・家康は天正13年3月15日に小牧山に布陣した
犬山城の戦い後・天正13年3月16日の森長可の動き
犬山城の戦い後・天正13年3月16日、美濃金山城から森長可が出陣し、羽黒に布陣した
羽黒八幡林の戦い・天正13年3月17日の動き
天正13年3月17日に家康軍が羽黒に出陣し、羽黒八幡林の戦いが勃発した
羽黒八幡林の戦い(天正13年3月17日)の布陣図(推定)
羽黒八幡林の戦い(天正13年3月17日)では五条川の南北に徳川軍・森隊が布陣した(布陣は推定)

参考文献

  • 長久手町史 資料編六 中世 長久手合戦資料集(平成4年、長久手町役場)
  • 天下人の書状をよむ(岡山大学附属図書館・林原美術館、吉川弘文館、2013) <amazonで買う> <楽天で買う>
  • 織田信長家臣人名辞典(谷口克広著、吉川弘文館、1995) <amazonで買う> <楽天で買う>
  • 小牧・長久手の戦いの構造 戦場論上(藤田達生、岩田書院、2006) <amazonで買う>
  • 日本戦史 小牧役(参謀本部編、村田書店、明治41年)
  • 現代語訳 家忠日記(中川三平、ゆいぽおと、令和元年(2019)) <amazonで買う> <楽天で買う>
  • 愛知県史 資料編12 織豊2(平成19年3月31日、愛知県)

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