犬山城を舞台に争いを繰り広げた二代目犬山城主・織田信清。
相手は織田信長。
尾張統一・美濃侵攻を目前としていたころです。
信清と信長は従兄弟だったんです。
織田信清
織田信清は、 初代犬山城主・織田信康の息子です。
つまり二代目犬山城主というわけです。
信康のころは兄・信秀と共同戦線を張って尾張平定を目指していました。
が、信康が戦死すると、信清は犬山城を本拠地にして独自勢力として行動し、織田弾正忠家の当主となった信長に敵対しました。
そして、犬山城が危機にさらされます。
信長は1563年(永禄6年)に小牧山城を築きました。
このとき小口城(於久地城)にいた信清の兵は恐れをなして犬山へと逃げたとか。
そして1564年(永禄7年)5月、信長は信清の居城犬山城を攻め、城下や近くの寺院などを焼きました。
世に言う『犬山城の戦い』です。
ここで、信清は城を明け渡し、甲斐に逃げ落ちました。
武田氏に仕えた信清は、その後「犬山鉄斎」と名乗ったとのことです。

犬山城は初めて落城しました。
ついに信長は尾張を統一し、美濃へと再度侵攻して行くのですが、犬山城には重臣の池田恒興を入れました。
その話はまた次回。
●城主データ●
織田信清・二代目犬山城主
在位 約17年:天文16年~永禄7年(1547年~1564年)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
信清が信長とドンパチやったお陰で危機を迎えたけど、なんとか廃城は免れましたね。
ということで、信長に攻められて一度目の落城を経験した、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月10日
犬山城マイスター!たかまる。