犬山城を築城したのは織田犬山城を築城したのは織田信長の叔父・織田信康だったのです。織田信秀とともに美濃攻めをしていた犬山城初代城主は、志半ばにして花と散ったのでした。
犬山城の城主を順番に見ていく『俺が城主だ!シリーズ』第1弾=初代城主=築城者。
織田信康
犬山城を築城したをいう織田信康は、尾張国の織田弾正忠家の当主・織田信定(のぶさだ)の子。
生母・生誕月日はわかっていません。
通称は与次郎、与二郎。
織田信秀の弟で、織田信長の叔父です。
もともとは室町時代に岩倉織田氏が犬山のあたりも支配していましたが、岩倉織田氏の勢力が衰退すると、1537年に信康が現・犬山市役所近くの愛宕神社の辺りにあった木ノ下城から現在の場所に移して城郭を築いたとされます。
それが犬山城です。
ただし、当時は天守はなかったと思われるので、現在の天守は信康創建のものではないでしょう。
織田信康は犬山城に入城し、兄の織田信秀に従って今川氏との小豆坂の戦いなどで戦功を挙げます。
1544年、織田信康は斎藤道三との戦いに従軍します。
そして美濃稲葉山城攻め
(加納口の戦い)にて戦死します。
1544年10月8日没だと言われています。
織田信康の死後、息子の信清が犬山城の城主となります。
信清は叔父・信秀や従兄弟・信長に対して反抗的だったので、織田弾正忠家の敵対勢力の一つとなりました。
その結果、織田信長が犬山城を攻め落とし、城主がコロコロと代わることになります。
●城主データ●
織田信康・初代犬山城主(築城者)
在位 約10年:天文6年~天文16年(1537年~1547年)
犬山城歴代城主についてはコチラの記事で。
まとめ
犬山城を築いたのは織田信長の叔父の織田信康という強者でした。
ということで、信康がいたから今がある、犬山城でした。
じゃあね🖐️
2019年04月09日
犬山城マイスター!たかまる。