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犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

犬山城天守を正面から見ると、右手前(東南隅)にポコって飛び出たところがありますよね。

これ、付櫓(つけやぐら)っていう防御施設なんです。

ここまでは大体皆さん聞いたことあると思います。

が、実は犬山城天守には付櫓がもう一つあるんです。

それが西北隅の付櫓です。

付櫓が二つある天守は大変珍しいので、それをご紹介しますね。

犬山城天守の『付櫓(つけやぐら)』は、東南隅と西北隅に二つもあって実は珍しいのだ!

付櫓(つけやぐら)とは、櫓が天守などに接続している櫓のことです。

犬山城天守には付櫓があります。しかも、二つ。

しかし、一般的に天守には付櫓はひとつしかついていません。

では、この付櫓について詳しく見ていきましょう。

東南隅の付櫓(東南付櫓)

まず一つ目は、天守正面から見て右手前、東南隅にある付櫓です。

これは正面の右手にあって大きいため、とてもよく目立ちます。

これが目に入らない人はいないでしょう。

▲ 東南隅の付櫓。これを見逃す人はいないでしょう(写真:たかまる。)

この東南隅の付櫓は切妻屋根になっているので、「切妻付櫓(きりつまつけやぐら)」というのが正しい。

天守から約3.6m(2間)の幅で、こちらも3.6mほど(2間)東南に張り出しています。

1階部分に接続している平屋の切妻造りです。

屋根は切妻の反り屋根で、破風には梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)が施されています。

梅鉢懸魚は、梅の花を図形化したものだそうです。

▲ 切妻屋根の懸魚。梅鉢懸魚(うめばちげぎょ)。(写真:たかまる。)

東南隅の付櫓は天守入口(穴蔵)の横に当たり、正面の敵に対して横から矢や鉄砲で横矢を掛けるための防御施設です。

東側から攻めあがってきた敵に対しても有効だったでしょう。

それにしては、窓の数が少ない気がしますが…

この付櫓は1階に接続しており、天守内部から入ることができます。

城兵になって敵兵を狙撃する気分を体感してみてください。

でも、ここまで敵兵が迫ってきたら落城しているも同然ですが…

東南付櫓についてはコチラ↓↓↓の記事もどうぞ。

犬山城天守・東南付櫓(とうなんつけやぐら)

西北隅の付櫓(西北付櫓)

犬山城には東南隅の目立つ付櫓とは別に、もう一つ付櫓があります。

それが西北隅にある付櫓です。

▲ 西北隅の付櫓。天守正面向かって左奥にある。(写真:たかまる。)

こちらも東南隅の付櫓と同じように、切妻造りの平屋です。

屋根も同じで切妻の反り屋根で、破風には梅鉢懸魚が施されています。

幅は同じで約3.6m(2間)ですが、張り出し部分は約1.8m(1間)となっており、東南隅の付櫓の半分です。

また、天守正面から見て左手奥にあり、立ち入り禁止になっているためなかなか見つけられない、あまり知られていない付櫓です。

この西北隅の付櫓には石落としがついています。

この石落としは袴腰型と呼ばれるもので、袴のような形をしています。

▲ 石落しの形は袴腰型。袴のように末広がりの形。(写真:たかまる。)

西北隅の付櫓も1階に接続しており、内部から見ることができます。

「石落としの間」と案内が書かれている部分です。

南および西から攻めてくる敵に対して横矢を掛ける構造で、こちらも防御施設です。

石落しの間というので石落しがあるのかと思いきや、実はありません。

壁と床でふさがれています。

昭和の解体修理のときに、すでに壁で塞がれていたことがわかったため、そのまま復元してあります。

ということは、石落しはダミー。

外から石落しが見えることで、敵兵が攻めにくいと思わせる抑止効果を狙ったものと思われます。

でも確かに、木曽川対岸から見たら石落しが見えるので攻めにくいという印象が強くなりますね。

▲ 石落しが見えるだけでも抑止効果がある。(写真:たかまる。)

西北付櫓についてはコチラ↓↓↓の記事もどうぞ。

犬山城天守・西北付櫓(せいほくつけやぐら)

犬山城天守・「石落としの間」の真実

付櫓が二つは大変貴重

東南隅付櫓と、西北隅付櫓の二つを見てきましたが、そもそも天守に付櫓が二つも附帯されているというのは大変珍しいのです。

1階平面図を見るとよくわかります。

▲ 平面図。出っ張ったところが付櫓で、二つあるのがよくわかる。(図:たかまる。)

私たちは現在、現存している天守、天守があったころの写真、江戸時代に書かれた絵図、古文書などから天守の構造というものを理解することができます。

しかし、その中でも付櫓が二つ附帯しているものはそれほど多くないはずです。

しかも現存している天守の中では、犬山城だけが天守に付櫓が二つあるのです。

▲ 東南隅の付櫓と、西北隅の付櫓が同時に見えるのはこの角度だけ。(写真:たかまる。)

大変貴重な珍しい構造の天守なのですよ。

現存12天守で比較してみよう

現存12天守には他に付櫓のある天守があるのかを見てみましょう。

犬山城

▲ 犬山城天守には付櫓が二つある。(写真:たかまる。)

複合式で、付櫓が二つ!

松江城

▲ 松江城天守には正面にかなり大きな付櫓がある

複合式天守で、付櫓がひとつあります。

正面にかなり大きいのですぐにわかります。

これぐらいになると、もはや付櫓レベルではないのですが(笑)

松本城

▲ 一番右の赤い高欄が月見櫓。それを大天守の間にあるのが辰巳付櫓。(写真:たかまる。)

複合連結式天守で、付櫓がひとつあります。

辰巳付櫓と呼ばれるもので、その外側にはさらに月見櫓が附帯しています。

彦根城

▲ 天守の左側に張り出しているのが付櫓。(写真:たかまる。)

複合式で、付櫓がひとつあります。

備中松山城

▲ 天守の左手に附帯した付櫓

複合式天守で、付櫓がひとつあります。

姫路城、松山城

連立式天守で、付櫓はありません。

丸岡城、高知城、宇和島城、弘前城、丸亀城

独立式天守で、付櫓はありません。

他の現存天守で付櫓があるものは4城ありますが、いずれも付櫓は一つだけです。

こうやって比較するとわかりやすいですが、犬山城天守に付櫓が二つ付いているというのが如何に珍しいことなのか。

付櫓があるのを複合式天守と言う

上述したように、付櫓があるものは複合式天守と呼ばれます。

その他には、連結式天守、連立式天守、独立式天守に分類されます。

簡単に説明をすると、

複合式天守は付櫓や小天守が天守に直接ついたもの。

連結式天守は小天守などが渡櫓で接続したもの。

連立式天守は天守と二基以上の小天守を中庭を取り囲むようにして建て、それを渡櫓で連結したもの。

独立式天守は天守のみの一番シンプルな形。

天守の分類についてはコチラの記事でも解説しています↓↓↓↓↓

【お城の基礎】天守の四つの形式 / 複合式、連結式、連立式、独立式

付櫓のない時代があった!

犬山城天守に二つの付櫓があっただけで驚きなのに、さらに驚く事実があります。

東南隅の付櫓がなかった時代があるのです。

それも近年です。

濃尾地震で付櫓が全壊

1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した濃尾地震で、犬山城は大きな被害を受けました。

天守やその他の建物も倒壊したりしましたが、東南隅、西北隅の付櫓が全壊してしまいました。

当時、犬山城天守の所有・管理は愛知県が行っていましたが、他の地震被害の復旧を優先するため、明治28年に修理を条件として愛知県から旧藩主の成瀬家に譲与されました。

成瀬家と犬山町民が義援金を募り、無事修復されましたが、東南隅の付櫓は復旧されませんでした。

昭和の大修理で復元

時代は進んで1959年(昭和36年)から1963年(昭和40年)にかけて、それまでの経年劣化や昭和34年の伊勢湾台風の被害などを修復する目的で、全面解体修理が行われました。

そのとき天守の調査を行い、明治以降の改変部分はできるだけ当初の姿に復旧され、東南隅の付櫓も復元されました。

つまり、現在見ている東南隅の付櫓は、そのときに復元されたものなのです。

東南隅の付櫓は約70年存在しなかった!

ということは、1891年(明治24年)から1963年(昭和40年)までの約72年は、東南隅の付櫓は存在しなかったことになります。

そのときの貴重な写真があります。

▲ 昭和35年の犬山城天守(個人蔵。ご厚意により掲載させていただいています)
▲ 昭和35年ごろの犬山城天守の絵はがき(個人蔵。ご厚意により掲載させていただいています)

注意
 
  • この写真は所有されている犬山市民の方のご厚意で掲載させていただいています。
  • 転載・コピーなどは固くお断りします。

見てお分かりのように、東南隅の付櫓がありません。

かつてあった部分には破風が付けられている、貴重な写真です。

犬山城の付櫓一つとっても、歴史を感じずにはいられません。

こういうことを知っていると、付櫓を見るポイントがちょっと面白くなりますね。

まとめ

犬山城天守の付櫓にフォーカスしてまとめてみました。

付櫓が二つあること、敵に横矢を掛ける防御施設であること、明治の濃尾地震で倒壊したこと、東南隅付櫓がない時代があったことなど、なかなか面白い内容でしたね。

もっともっとマニアックな情報もあるんですが、現地に行ってみてもらうのが一番だと思いますので、犬山城天守に行かれた際は二つの付櫓にも注目してみてください!

ということで、犬山城天守の付櫓が二つあって珍しいよというお話でした。

じゃあね👍

2019年05月25日
犬山城マイスター!たかまる。

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