続日本100名城・114番・唐沢山城(からさわやまじょう)をご紹介します。
唐沢山城(からさわやまじょう)は、戦国時代を生き抜いた、関東の城では珍しい高石垣のある山城です。
栃木県佐野市にあります。
お城めぐりの参考に。
日本城郭検定を受験するときの参考に。
唐沢山城(からさわやまじょう)#114『戦国時代を生き抜いた、関東の城では珍しい高石垣のある山城』
続日本100名城・114番・唐沢山城(からさわやまじょう)をご紹介します。
唐沢山城(からさわやまじょう)は、戦国時代を生き抜いた、関東の城では珍しい高石垣のある山城です。
栃木県佐野市にあります。
見どころ
関東の城では珍しい高石垣(たかいしがき)が残る山城です。
特に、本丸周辺の高石垣は圧巻です。
また周囲を分断する堀切(ほりきり)なども見所の一つです。
主な遺構
本丸
二の丸
石垣
堀
土塁
堀切など
縄張(なわばり)
戦国最強と言われた上杉謙信の猛攻を何度か退けたと言われています。
関東7名城の一つに数えられる要害です。
唐沢山(からさわやま)の山頂に本丸を中心とした主郭部(しゅかくぶ)が築かれました。
この主郭部を中心に、天然の地形を利用して尾根上に曲輪(くるわ)を連ねました。
いわゆる連郭式(れんかくしき)の縄張りです。
本丸には織豊期(しょくほうき)に作られたと思われる高石垣(たかいしがき)が築かれています。
さらにその周囲はいくつもの堀切(ほりきり)や竪堀(たてぼり)があり、戦うための城として防備を固めていました。
本丸の高石垣は関東地方の城では珍しく、高さ8 m を超えています。
現在の本丸跡には唐澤山神社(からさわやまじんじゃ)が建立されています。
鳥居の左右にある大きな石は。かつて本丸の虎口(こぐち)に置かれていた鏡石です。
西側にある西城(天徳寺丸)と東主郭部を分断する「四つ目堀(よつめぼり)」という堀があります。
この堀の幅は約9 m の巨大なものです。
歴史
平安時代に藤原秀郷(ふじわらひでさと)によって築城されたという伝説が伝わっています。
室町時代には佐野氏(さのし)の居城であったと推測されています。
戦国時代には越後(えちご)の上杉謙信(うえすぎけんしん)が侵攻して、度々落城しています。
そのとき城主だった佐野昌綱(さのまさつな)は降伏と離反を繰り返しながら、佐野氏の存続を図るために懸命でした。
昌綱、さらにその子の宗綱(むねつな)が亡くなった後、佐野氏は北条氏に降りました。
しかし天正18年(1590)の北条征伐(ほうじょうせいばつ)とも言われる小田原平定(おだわらへいてい)では豊臣秀吉(とよとみひでよし)に従いました。
さらに慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは徳川家康(とくがわいえやす)についたため、所領を安堵されました。
関ヶ原の戦いが終わると、佐野氏は佐野城(さのじょう)を築いて移ったため、唐沢山城は廃城となりました。
唐沢山城の基本情報
別名 | 根小屋城(ねごやじょう) 栃本城(とちもとじょう) 牛ヶ城(うしがじょう) |
所在地 | 〒327-0801 栃木県佐野市富士町1409 |
城の種類 | 山城 |
築城年代 | 15世紀後半 |
築城者 | 佐野氏 |
主な城主 | 佐野氏 |
文化財史跡の区分 | 国指定史跡 |
主な復元や整備 | - |
アクセス | 東武佐野線「田沼」駅から徒歩約40分 |
日本100名城スタンプ設置場所 | 唐澤山神社社務所 |
関連施設 | 佐野市郷土博物館 |
リンク | 唐沢山城跡|佐野市 |
地図・マップ
まとめ
続日本100名城・114番・唐沢山城(からさわやまじょう)をご紹介しました。
唐沢山城(からさわやまじょう)は、戦国時代を生き抜いた、関東の城では珍しい高石垣のある山城です。
お城めぐりの参考にしてください。
また、日本城郭検定を受験するときの参考にしてください。
じゃあね🖐️
2020年05月15日
犬山城マイスター!たかまる。