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【初代犬山城主】犬山城を築城したのは、織田信長の叔父・織田信康(おだのぶやす)!/ 天文6年(1537年)~天文15年(1546年)

犬山城初代城主は織田信康(おだのぶやす)。織田信長の叔父。
天文6年(1537年)に木之下城から城を移して犬山城を築城したといわれる。
兄・織田信秀(おだのぶひで)とともに稲葉山城主・斎藤氏の美濃を攻める中で、花と散ったのでした。
犬山城の『俺が城主だ!シリーズ』第1弾。初代城主=築城者・織田信康(おだのぶやす)。

初代犬山城主・織田信康注1)

「織田信康が木之下城から三光寺山または城山へ城を移したといわれる」の地図
▲木之下城を移して犬山城にしたといわれる(国土地理院地図を基にたかまる。が作図)

織田信康は、尾張国の織田弾正忠家の当主・織田信定(のぶさだ)の次男です。

生母・生誕月日はわかっていません。

通称は与次郎、与二郎。

織田信秀(おだのぶひで)の弟で、織田信長(おだのぶなが)の叔父です。

犬山は、室町時代には守護代の岩倉織田氏が支配していましたが、その勢力が衰退すると天文6年(1537年)に信康が木之下城(現・犬山市役所近くの愛宕神社の辺り)から移して城郭を築いたとされます。それが「犬山城」です。※01※02※03

「この時に当って本城を三孤尾寺山に移す」

『尾州丹羽郡犬山城主附』※01

※織田信康の項。本城とは木之下城のことを指す

「・・・中比与次郎信康の代に要害悪ければとて同郡大久地村(今小口村と云う)の城を引きて三孤尾寺山に移し・・・」

『尾州丹羽郡犬山城主附』※01

「天文初の比織田与次郎信康(法名白巌)木ノ下城を引きて今之山上に改めて築くと云う」

『尾州丹羽郡稲木庄犬山城初築之来由 歴代之城主』※02

「城を山嶺に移す 以前の城地は木ノ下に有り 其の地今三光寺という」

『尾濃葉栗見聞集』※03

※犬山城主姓名考・織田与次郎信康の項

移した場所は文献資料によって異なります。

『尾州丹羽郡犬山城主附』※01 は「三狐尾寺山(さんこおじやま)」に、『尾州丹羽郡稲木庄犬山城初築之来由 歴代之城主』※02 は「今之山上」に、『尾濃葉栗見聞集』※03 は「三光寺」に移したとあります。

これ以外の史資料でも三光寺に移したのか、いま俗にいう「城山」に移したのかは表記が異なっていて定かではありませんが、城を移して犬山城としたことには間違いはなさそうです。

なお、『尾州丹羽郡犬山城主附』※01 には「大久地村の城を引きて・・・」とありますが、木之下城の間違いと思われます。

ただし、当時は天守はありませんでしたので、現在の天守は信康が建てたものではありません。

織田信康は犬山城に入城したのち、兄の織田信秀に従って今川氏との小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)などで戦功を挙げます。

天文15年(1546年)、織田信康は美濃の守護代・斎藤道三との戦いに従軍します。そして美濃稲葉山城攻め(加納口の戦い)にて戦死しました。天文15年9月22日(1544年10月16日)没と言われます。※01※02※03

信康の死後、息子の織田信清(おだのぶきよ)が犬山城主となります。

信清は叔父・信秀や従兄弟・信長に対して反抗的だったので、織田弾正忠家の敵対勢力の一つとなりました。

その結果、織田信長が犬山城を攻め落とし、城主がコロコロと代わることになります。

犬山城主として

初代(犬山城の築城者)

期間

天文6年(1537)~天文15年(1546)

在位

9年

犬山での動静

木曽川のほとり、美濃との境に信康は城を築いた。それが犬山城(当時、天守はなかった)の写真
▲木曽川のほとり、美濃との境に信康は城を築いた。それが犬山城(当時、天守はなかった)

先にも述べた通り、犬山城は信康が築城したと言われています。

ただし、そのころ天守は建てられておらず、現在の国宝天守は信康が建築したものではありません。

犬山城主だった期間は、木之下城から城を移した天文6年(1537年)から討ち死にした天文15年(1546年)の9年です。

このころの犬山城に関する記述は古文書などには残されていません。

しかし、天文6年(1537)に信康は安産祈願のために自ら手彫りした狛犬一対を針綱神社に奉納しています。それ以後、針綱神社では安産・子授けにご利益があるとされます。

織田信康の死後は、嫡男・信清が犬山城主となります。

プロファイル

生誕不明
死没天文15年9月22日(1544年10月16日)※01※02※03(天文13年9月22日(1544年10月8日)ともいわれる)
氏族織田弾正忠家(勝幡織田氏)
父母父:織田信定
母:不詳
兄弟信秀、信康、信正、信光、信実、信次、松平信定正室、長栄寺殿、おつやの方、秋悦院
不明
織田信清、織田広良、織田信正?、織田信張正室養子:織田信時(織田信秀の子)
改名不明
別名与次郎(與次郎)、弾正左衛門
官位不明
諡号伯厳または白厳
戒名雲林院殿白巌仍叟居士、仍叟白巌大居士
主君織田信秀?
所領木ノ下(愛知県犬山市) → 犬山(愛知県犬山市)

略歴

木之下城から移したとされる三光寺山の写真
▲木之下城から移したとされる三光寺山

織田信定の子として生まれました。織田信秀の弟、織田信長の叔父にあたります。

父・信定は尾張国の織田弾正忠家(守護代・清州織田氏の家臣。清州三奉行の一家)の当主でした。

信定の死後、当主は兄・信秀となりますが信康は政治、軍事ともに兄を支える活躍を見せています。

『言継卿記』※04によると、天文2年(1533)7月11日、兄・信秀が清州織田氏(織田大和守家)の織田達勝と争ったとき、和平成立後に兄の代理として守護代織田大和守の清洲城に赴いたとされます。

「三郎者去年和談以後、始而織田大和守方へ同名与二郎出頭、云々、仍罷向、云々、」

『言継卿記』※04

このころより小口城(愛知県丹羽郡大口町)や木之下城(愛知県犬山市)を居城としていました。

小口城は長禄3年(1459)に織田広近によって築城されたといわれ、東西約50間(約90m)、南北約58間(約105m)の曲輪に二重の堀と土塁が廻らされた形状であったとされます。文明元年(1469)、織田広近が木之下城(愛知県犬山市)を新たに築城して移ったとされます。その後、織田信康が木之下城に入城したとも、小口城に入城したのちに木之下城に入城したともいわれはっきりとしません。

『尾張國誌』の「小口城」の項には、

「織田和泉守の居城或いは織田与次郎信康ここに住しともいへり。安土創業録に信秀の舎弟織田与次三郎信康丹羽郡小口の城主又白岩犬山殿といふ、犬山の城主織田信清の父也。」

『尾張國誌』

とあります。 

信康は天文6年(1537)に居城・木之下城(愛知県犬山市)を廃城にし、犬山城を築城したと言われます。つまり、犬山城の築城者と言われているのです。

ただし、当時は天守は建てられておらず、現存の国宝天守は織田信康が建築したものではありません。

さらに、そのころ岩倉織田氏(織田伊勢守家)の織田信安が岩倉城を継ぎましたが、若かったため信康が後見役を務めたとも言われています。

今川氏と織田弾正忠家との争いでは、兄・信秀に従って小豆坂の戦いなどで戦功を挙げます。

天文13年(1544)、美濃の土岐頼芸を助けるために兄・織田信秀は越前の朝倉孝景と共に斎藤道三の稲葉山城を攻める(加納口の戦い)が、この戦いで討死しました。

この戦いにおいて織田勢の宿老も多数、討死しました。清洲三奉行の一人である織田因幡守や、若年の織田信長に付けられた守役の一人、青山与三右衛門らの名が討死者の中に挙げられています。

没年は天文13年(1544)とも天文16年(1547)ともされます。

法名は伯厳または白厳とされ、一時居城としていた木之下城跡にある愛宕神社の手水舎(てみずや)には「白厳水」と書かれています。

歴代の犬山城主についてはコチラの記事で

>>> 犬山城の歴代城主まとめ

注釈

注1)江戸時代に書かれた『尾州丹羽郡犬山城主附』※01 や『尾州丹羽郡稲木庄犬山城初築之来由 歴代之城主』※02 などでは第3代とされるが木之下城時代も含まれているため、ここでは「犬山城」時代のみとして代数をカウントした。

参考文献

※01)『尾州丹羽郡犬山城主附』 西尾市岩瀬文庫蔵、明和5年(1741年)刊か?

※02)『尾州丹羽郡稲木庄犬山城初築之来由 歴代之城主』 犬山城白帝文庫蔵、宝暦3年(1753年)、賀島晶与著

※03)『尾濃葉栗見聞集』 岐阜県図書館蔵、享和元年(1801年)、吉田正直著

※04)『新訂増補 言継卿記 第一』 山科言継、国書刊行会編、続群書類従完成会、昭和41年

※05)『信長公記』 太田牛一、角川日本古典文庫、2019年9月28日

※06)『織田信長家臣人名事典』 高木昭作監修、谷口克広著、吉川弘文館、1995年(平成7年)1月10日

※07)『犬山里語記』 犬山市史 史料編四 近世上、犬山市、昭和62年1月31日

※08)『蜂須賀家成立書并系図』

※09)『新訂 寛政重修諸家譜 第八』 続群書類従完成会

※10)『信長記』 小瀬甫庵、現代思想社

※11)『群書系図部集 第四』 続群書類従完成会

※12)『復刻改定補 尾張國誌』 東海地方史学協会

※13)『織田信長総合辞典』 岡田正人著、雄山閣

※14)『織田信長の系譜 信秀の生涯を追って』 横山住雄著、濃尾歴史文化研究所、平成5年6月

※15)『織田信長の尾張時代』 横山住雄著、戎光祥出版、2012年6月8日

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